PDF版のダウンロードはこちらから click!
2013(平成25)年12月4日
平成26年度予算編成にあたり
生活保護基準引き下げの撤回等を求める意見書
第1 意見の趣旨 _
1「生活扶助相当CPI」を根拠としてなされた生活扶助基準引下げは,手続的にも内容的にも適正を欠き違法であるから,撤回すべきである。
2 仮に物価変動を考慮するのであれば,平成25年以降物価は上昇しているのであるから,来年度は生活扶助基準を引き上げるべきである。
第2 意見の理由 _
1 生活扶助相当CPIを根拠とする基準引き下げは違法であること
(1)基準引下げの違法性判断基準
現行生活保護法上,生活保護基準は厚生労働大臣の告示(行政裁量)によって決定されるものとされているが(生活保護法8条),厚生労働大臣の判断に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用がある場合には,かかる判断は違法となる。
しかし,国民の生存権保障(憲法25条)の水準(いわゆるナショナルミニマム)が国民の代表者たる国会のコントロールを受けることなく決定されるということからすれば,厚生労働大臣に一定の裁量権が認められるとしても,その裁量の幅は自ずと小さいものにならざるを得ない。
そして,裁量判断において当然尽くすべき考慮を尽くさず,これにより判断が左右されたものと認められる場合には,裁量判断の方法ないしその判断に誤りがあるものとして違法となるとされているところ(東京高裁昭和48年7月13日判決),近時の最高裁判例では,基準引下げに至る判断の過程及び手続に過誤,欠落があるか否か等の観点から,統計等の客観的数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性の有無等についても審査されるべきものという判断が示された(最高裁第3小法廷平成22年(行ツ)第392号及び平成22年(行ヒ)第416号・同24年2月28日判決,最高裁第2小法廷平成22年(行ヒ)第367号・同24年4月2日第二小法廷判決)。
(2)手続的瑕疵(基準引下げの経緯)
基準の設定は,1984年以降,消費水準均衡方式に基づいて行われてきた。消費水準均衡方式とは,「一般国民の消費水準との均衡が図られるよう,政府経済見通しにおける民間最終消費支出の伸びを基礎とし,国民の消費動向や社会経済情勢を総合的に勘案して改訂」(2004年3月2日厚生労働省社会・援護局保護課「社会・援護局関係主管課長会議資料」)する方式である。すなわち,一般国民の消費実態とのバランス(均衡)を維持しつつ,政府経済見通しに基づいて消費の伸び等の調整を行うという検証方式であり,消費者物価指数(CPI)の変動を考慮するものではなかったのである。
したがって,生活保護基準の設定にあたって消費者物価指数の動向を考慮するということは,1984年以降採用されてきた検証方式を根本的に変更するものであるから,それを考慮するのかどうか,考慮するとしてどのように考慮するのかについては,統計の専門家も含めた学識経験者等が構成する専門機関によって慎重に検討されるべきが当然であった。
にもかかわらず,社会保障審議会内に設置された専門機関である生活保護基準部会においては,消費者物価指数の動向については一度も議論さえされたことがないのであるから,今回の基準引下げは,裁量判断の方法(過程)に重大な誤りがあると言わざるを得ない。
(3)内容的瑕疵
ア 生活扶助相当CPIとは
厚生労働省が基準引き下げの根拠とする「生活扶助相当CPI」による物価下落率は,以下の方法により導き出されたものである。
① 総合CPIのうち,a.家賃,教育費,医療費など生活扶助以外の他扶助で賄われる品目,b.自動車関係費,NHK受信料など原則生活保護受給世帯には生じない品目を除いた品目を指定品目とする。
② 2010年を基準年とする。
③ 2008年の指数と2011年の指数を比較する。
イ 政府の公式の計算方法(ラスパイレス指数)と異なる学説上の根拠のない計算方法が用いられており,しかも,ラスパイレス指数との結論の差は看過することのできないほど大きいこと
(ア) 厚生労働省の計算方法は学説上の裏付けがないこと
政府の公式の計算方法はラスパイレス指数という計算方法をとっている。しかしながら,厚生労働省による計算方法は,歴史上も学説上も存在しない計算方法であり,学説名などは存在しないし,統計学や物価の研究者による,正当性や内容の妥当性についての研究も検証もされていないものである。しかも,その正当性や内容の妥当性には,以下述べるとおり,重大な疑問がある。
(イ) ラスパイレス指数とは
我が国において,従来から所謂CPIとして景気動向の指標とされてきたものは,総務省統計局が作成しているCPIであって,その計算方法としては,これまでラスパイレス指数が使用されてきた。
ラスパイレス指数とは,エティエンヌ・ラスパイレスが1864年に提案した,加重平均によって算出された指数をいい,長年,世界各国で物価の計算に用いられてきた計算方法である。具体的な計算方法は,基準年を設定し,基準年を100とした比較年における個別品目の指数と基準年における当該個別品目のウエイト(支出割合)を掛け合わせたものを全ての品目で足し合わせ,それを総ウエイトの和で除することにより,基準年と比較する指数(比較年のCPI)を算出することになる。
例えば,2008年のCPIを算出するには下表のように計算し,最後にウエイト×指数の総和である1017000から総ウエイトの和である10000を除した101.7が2008年のCPIということになる(なお,数値は近似値である。)。

日本では,基準年は,5年ごとに改訂されており,2005年~2009年は2005年が基準年,2010年~2014年は2010年が基準年,というように,基準年を起点にその後5年間を比較年としてCPIを算出するとされている。基準年が異なる年の間でのCPIの単純比較はできず,異なる基準年間の比較は,例えば,2005年を基準年として2010年を比較年とした指数を計算し(99.6),その指数で100を除した数を接続係数(1.004016)として,2005年を基準年として計算された2005年~2009年の指数に接続係数を掛けることにより比較することになる。具体的には下表のように示される。

しかしながら,厚生労働省による生活扶助相当CPIの計算方法は以下のとおり,総務省が採用するラスパイレス指数とは異なる計算方法が用いられており,しかも,ラスパイレス指数との結論の差は看過することのできないほど大きなものとなっている。
(ウ) 基準年が異なること
2008年の指数を算出する場合,総務省の計算においては,上記のとおり2005年が基準年となるが,生活扶助相当CPIにおいては2010年が基準年とされている。
この生活扶助相当CPIの計算方法は,政府の公式の計算方法であるラスパイレス指数とは異なる非公式の計算方法であるというだけでなく,各品目の支出割合がほぼ一定であった,2008年から2011年においては,物価下落が過大に評価される一方,物価上昇は過少に評価されるため,CPIの動向に強い「下方バイアス」がかかる結果となるという点に重大な問題がある。
比較のために、基準年の取り方を総務省方式にして試算した場合,結果は下表のとおりとなる。

このような結果となるのは,生活扶助相当CPIが2008年の生活扶助相当CPIの基準年を2010年を基準年としたことに起因する。つまり,支出割合が一定の場合,基準年を比較年より後の時点に設定するという計算方法では,2005年から2010年にかけて物価が下落している品目についてはCPI全体に与える影響は大きくなり,逆に物価の上昇している品目については,CPI全体に与える影響は小さくなる。その結果,物価の下落は物価の上昇に比べてCPI全体への影響が大きくなるため,物価が下がって見える。たとえば,下表のとおり,ノートパソコンの物価は大幅に下落しているため,2008年の指数は2010年を基準とすると8倍となり,2008年から2010年にかけて物価下落幅は△181.6となる。他方,ノートパソコンの下落率と同じ割合で物価が上昇した品目を仮定した場合,その品目の指数は逆に2010年を基準とした場合に8分の1となり,2008年から2010年にかけての物価上昇幅は64.8にすぎない。

2008年から2011年にかけて物価が上昇している品目は存在するもののその上昇率は低く,基準年を2010年にすることによる差は看過することができない程度に大きなものとなっている。
総務省は,消費構造の変化をより迅速に反映するため,CPIの参考指標としてラスパイレス連鎖指数を公表している。ラスパイレス連鎖指数とは,基準年を5年間固定するラスパイレス指数と異なり,毎年ウエイトを更新して指数を計算する指数であって,基準年から時間がたつにつれてバイアスが拡大するというラスパイレス指数の問題点から参考指標として用いられた数値である。2008年における総合CPIは101.7であり,ラスパイレス連鎖指数は101.5である。CPIの計算はその計算方法により結果に一定の差が生じるが,公式の計算方法による誤差はこのように0.2程度であることからすれば,基準年を2010年にすることによる差は許容される誤差の範囲をはるかに超える差異を生じさせるものと言わざるを得ない。
(エ) 2011年のCPIの基礎となる品目と2008年のCPIの基礎となる品目が異なること
統計学においては,その比較対象はそれぞれ同じ条件のもとで作成されたものでなければならないとされる。
しかしながら,厚生労働省の計算では,2011年(2010年基準)において基礎とされている品目は517品目,2008年(2005年基準)は485品目であって,32品目の差がある。
CPIの品目は5年ごとに見直されているところ,この32品目は2011年度には調査対象とされていたが2008年度には調査の対象とされていなかった品目である。
この差には,統計学上大きな問題がある。なぜなら,ラスパイレス指数の計算においてはウエイト×指数の総和を総ウエイトの和で除することになるが,2011年と2008年では総ウエイトの和は異なることになり,個々の品目の総ウエイトに占める割合が変動するからである。
例えば,テレビについてみてみると,ウエイトを総ウエイトの和で除すると以下のようになる。

このように一つの品目が全体のCPIの値に与える影響の程度が異なってしまうため,厚生労働省の計算方法では適切な比較をすることができない。
(オ) 結論の不適切性
本来,生活扶助相当CPIは総務省の作成による総合CPIの一部の指数を基に作成されたものであるはずであるから,生活扶助相当CPIと,生活扶助相当CPIの基礎とならなかった品目について生活扶助相当CPIと同様の計算方法により作成されたCPI(以下,「非生活扶助相当CPI」という。)とを加重平均すれば,総合CPIとほぼ同じ値が出るはずである。
しかしながら,2008年度における生活扶助相当CPIは104.5,非生活扶助相当CPIは102.0となるため,その平均値は約103強となるところ,同年の総合CPIは102.1であって大きく異なる。この差である約1は上記第2の1イ記載のとおりCPIの数値においては看過することのできない大きな差であることは明らかである。この点について,静岡大学の上藤一郎教授も「学術的な欠陥」と指摘されている。

(カ) 小括
このように,生活扶助相当CPIの計算方法は,単に歴史上も学説上も存在しない計算方法と言うだけでなく,その結論自体も物価を示すものとして到底是認できないと言わざるを得ない。
ウ ウエイトが生活保護利用者の消費実態に即したものでないこと
(ア) 物価動向は品目(費目)により異なり,所得階層により消費する品目のウエイトは異なること
当然のことであるが,物価の動向は品目(費目)により異なる。この間,大きく物価が下落しているのは,費目で言うと家具・家事用品費と教養娯楽費であり,それは,これらの費目の中に含まれる電化製品の物価の下落幅が大きいことによる。これに対し,食費の物価動向はほぼ横ばいであり,水道光熱費はむしろ上昇している。

そして,低所得になればなるほど,家計の中で食費や光熱費等の生活必需品が占める割合が高くなり,教養娯楽費等の占める割合は低くなる。特に,生活保護利用者等の低所得者は「贅沢品」の最たるものとも言える電化製品についてはほとんど購入することができないことは容易に推察できる(山田壮志郎氏(日本福祉大学准教授)らが行ったアンケート調査によれば,生活保護利用者の家計における電化製品が占めるウエイトは0.54%に過ぎなかった。)。



(イ)「社会保障生計調査」を活用していないこと
生活扶助相当CPIは生活保護費を物価変動に即して変更するために使用された値であるから,本来,生活保護利用者の消費実態に即して算出されなければならない。
現在日本では,生活保護利用者を対象とした調査として,社会保障生計調査が実施されており,同調査の調査原票を活用すれば,生活保護利用者の生活実態に即したウエイトを算出することが可能である。
しかしながら,生活扶助相当CPIにおいては,この社会保障生計調査に基づく品目やウエイトではなく,単に総合CPIのうち,①家賃,教育費,医療費など生活扶助以外の他扶助で賄われる品目,②自動車関係費,NHK受信料など原則生活保護受給世帯には生じない品目を除いた品目を用いて,計算されている。
この計算方法は,一見生活保護利用者の消費実態に整合する指標のように見えるが,以下のとおり,総合CPI以上に本来の生活保護利用者の生活実態から大きく乖離するものとなっている。
(ウ) 電化製品のウエイトが大きくなること
生活扶助相当CPIは上記のように一部の品目を除いているため総ウエイトの和が小さくなる一方で,個々のウエイトはそのまま計算されているため,個々の品目が全体に占める割合は重くなる。例えば,電化製品でいえば,具体的には下表のとおりとなり,一般世帯においては家計のうち10000分の211=0.0211が電化製品の支出に充てられているが,生活保護利用者においては家計のうち6185分の263≒0.0425が電化製品の支出に充てられている計算になる。すなわち,生活保護利用者が一般世帯よりも1.5倍以上の割合で電化製品を購入していることになるが,これが実態とかけ離れていることは明らかである。

さらに重要なのは,生活扶助相当CPIに含まれる品目のうち2008年から2011年にかけての物価の下落率が高い10個の品目は全て電化製品であるということである。
電化製品の占める割合が増加したことにより,電化製品の物価下落も実際以上に大きく算定され,その結果として,生活扶助相当CPIの数値は4.78%下落したとされているが,この下落は,生活保護利用者の消費実態を反映させたものではない。

(エ) テレビのウエイトが大きいこと
2008年についての生活扶助相当CPIの計算におけるウエイトは,総務省の計算方法(基準年は2005年)とことなり2010年が基準とされるところ,テレビのウエイトは,2005年には37であるが,2010年には97となっており,2倍以上となっている。これは,2010年が地上デジタル化の影響でテレビが非常によく売れたため,ウエイトが異例に重くなったのである。
ウエイトの問題に加えて,テレビは2008年から2011年にかけて約66.4%物価が下落しているため,テレビを除いて生活扶助相当CPIの計算方法によって物価の下落率を計算すると2%台となる。生活扶助相当CPIによる物価の下落率が4.78%であることからすれば,物価の下落率のうち約半分は,テレビの物価下落を表しているということができる。
しかし,生活保護利用者の場合,簡易チューナーが無償で配布されていたため,テレビを買い替える必要性はそもそもなかったため,テレビの購入は生活保護利用者の消費実態を反映させたものではない。
(オ) 小括
以上のとおり,生活扶助相当CPIのウエイトは生活保護利用者の消費実態に即したものではない上に,物価下落がより大きく反映されやすくなっており,基準を引き下げる根拠となる数値とは到底いえない。
エ 本来比較すべき年度を比較していないこと
生活保護基準の引き下げは,本件の以前では直近で2004年に行わ れたが,これは,2004年の時点で最低限度の生活費に相当する金額まで生活保護基準が引き下げられたものと解される。
そうとすれば,本来,2004年のCPIと基準引き下げ時においてCPIが公表されていた最新の年である2012年のCPIを比較すべきところを,厚生労働省は2008年と2011年を比較している。
下表は総合CPIではなく,低所得層である第Ⅰ・5分位のウエイトを用いた生活扶助相当CPIの試算であるが,これによれば,2008年と2011年の差は△2.9であり,2004年と2012年の差は△1.7であって1以上下落幅が異なる結果となる。

このように2008年と2011年を比較する合理的な理由はなく,しかも,これによるCPIの下落幅への影響も極めて大きい。
オ 小括
以上のとおり,生活扶助相当CPIは,
①政府の公式の計算方法であるラスパイレス指数と異なる学説上の根拠のない極めて特異な計算方法が用いられており,ラスパイレス指数との差は看過することができないほど大きいこと,
②ウエイトが生活保護利用者の消費実態に即したものでないこと,及び,
③本来比較すべき年度を比較していないこと
の3点において,物価変動を的確に示すものではなく,その結果,生活保護利用者の本来の消費実態に即した物価変動を大きく下回る結論となっている。
したがって,今回の基準引下げは,もはやCPIとの整合性を考慮しなかったものと言わざるを得ず,裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるため違法である。
(4)結論
以上のとおり,「生活扶助相当CPI」を根拠としてなされた生活扶助基準の引下げは,手続的にも内容的にも適正を欠き違法であるから,撤回すべきである。
2 平成25年以降物価は上昇しているため,基準を引き上げる必要があること
上記1⑷記載のとおり,第Ⅰ・5分位のウエイトを用いたとしても,2011年から2012年にかけて物価は0.2上昇している。
さらに,2013年についてみると,総合CPIの値で見ると,物価は上昇している(図1参照)。アベノミクスは2%のインフレ目標を掲げ,現に8月の消費者物価指数は前年同月比で0.8%上昇し,電気代(前年同月比8.9%上昇),ガソリン代(同13.2%上昇)等のエネルギー価格の上昇には著しいものがある。デフレは過大に考慮しながらインフレは一切考慮しないというのは,論理が一貫していない。

仮に,物価変動を理由として基準を変更するのが適切であるならば,現在物価の上昇局面にある以上,これ以上の生活扶助基準の引き下げを強行することは妥当ではなく,むしろ,来年度は生活扶助基準を引き上げるべきである。
以上
2013(平成25)年12月4日
平成26年度予算編成にあたり
生活保護基準引き下げの撤回等を求める意見書
第1 意見の趣旨 _
1「生活扶助相当CPI」を根拠としてなされた生活扶助基準引下げは,手続的にも内容的にも適正を欠き違法であるから,撤回すべきである。
2 仮に物価変動を考慮するのであれば,平成25年以降物価は上昇しているのであるから,来年度は生活扶助基準を引き上げるべきである。
第2 意見の理由 _
1 生活扶助相当CPIを根拠とする基準引き下げは違法であること
(1)基準引下げの違法性判断基準
現行生活保護法上,生活保護基準は厚生労働大臣の告示(行政裁量)によって決定されるものとされているが(生活保護法8条),厚生労働大臣の判断に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用がある場合には,かかる判断は違法となる。
しかし,国民の生存権保障(憲法25条)の水準(いわゆるナショナルミニマム)が国民の代表者たる国会のコントロールを受けることなく決定されるということからすれば,厚生労働大臣に一定の裁量権が認められるとしても,その裁量の幅は自ずと小さいものにならざるを得ない。
そして,裁量判断において当然尽くすべき考慮を尽くさず,これにより判断が左右されたものと認められる場合には,裁量判断の方法ないしその判断に誤りがあるものとして違法となるとされているところ(東京高裁昭和48年7月13日判決),近時の最高裁判例では,基準引下げに至る判断の過程及び手続に過誤,欠落があるか否か等の観点から,統計等の客観的数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性の有無等についても審査されるべきものという判断が示された(最高裁第3小法廷平成22年(行ツ)第392号及び平成22年(行ヒ)第416号・同24年2月28日判決,最高裁第2小法廷平成22年(行ヒ)第367号・同24年4月2日第二小法廷判決)。
(2)手続的瑕疵(基準引下げの経緯)
基準の設定は,1984年以降,消費水準均衡方式に基づいて行われてきた。消費水準均衡方式とは,「一般国民の消費水準との均衡が図られるよう,政府経済見通しにおける民間最終消費支出の伸びを基礎とし,国民の消費動向や社会経済情勢を総合的に勘案して改訂」(2004年3月2日厚生労働省社会・援護局保護課「社会・援護局関係主管課長会議資料」)する方式である。すなわち,一般国民の消費実態とのバランス(均衡)を維持しつつ,政府経済見通しに基づいて消費の伸び等の調整を行うという検証方式であり,消費者物価指数(CPI)の変動を考慮するものではなかったのである。
したがって,生活保護基準の設定にあたって消費者物価指数の動向を考慮するということは,1984年以降採用されてきた検証方式を根本的に変更するものであるから,それを考慮するのかどうか,考慮するとしてどのように考慮するのかについては,統計の専門家も含めた学識経験者等が構成する専門機関によって慎重に検討されるべきが当然であった。
にもかかわらず,社会保障審議会内に設置された専門機関である生活保護基準部会においては,消費者物価指数の動向については一度も議論さえされたことがないのであるから,今回の基準引下げは,裁量判断の方法(過程)に重大な誤りがあると言わざるを得ない。
(3)内容的瑕疵
ア 生活扶助相当CPIとは
厚生労働省が基準引き下げの根拠とする「生活扶助相当CPI」による物価下落率は,以下の方法により導き出されたものである。
① 総合CPIのうち,a.家賃,教育費,医療費など生活扶助以外の他扶助で賄われる品目,b.自動車関係費,NHK受信料など原則生活保護受給世帯には生じない品目を除いた品目を指定品目とする。
② 2010年を基準年とする。
③ 2008年の指数と2011年の指数を比較する。
イ 政府の公式の計算方法(ラスパイレス指数)と異なる学説上の根拠のない計算方法が用いられており,しかも,ラスパイレス指数との結論の差は看過することのできないほど大きいこと
(ア) 厚生労働省の計算方法は学説上の裏付けがないこと
政府の公式の計算方法はラスパイレス指数という計算方法をとっている。しかしながら,厚生労働省による計算方法は,歴史上も学説上も存在しない計算方法であり,学説名などは存在しないし,統計学や物価の研究者による,正当性や内容の妥当性についての研究も検証もされていないものである。しかも,その正当性や内容の妥当性には,以下述べるとおり,重大な疑問がある。
(イ) ラスパイレス指数とは
我が国において,従来から所謂CPIとして景気動向の指標とされてきたものは,総務省統計局が作成しているCPIであって,その計算方法としては,これまでラスパイレス指数が使用されてきた。
ラスパイレス指数とは,エティエンヌ・ラスパイレスが1864年に提案した,加重平均によって算出された指数をいい,長年,世界各国で物価の計算に用いられてきた計算方法である。具体的な計算方法は,基準年を設定し,基準年を100とした比較年における個別品目の指数と基準年における当該個別品目のウエイト(支出割合)を掛け合わせたものを全ての品目で足し合わせ,それを総ウエイトの和で除することにより,基準年と比較する指数(比較年のCPI)を算出することになる。
例えば,2008年のCPIを算出するには下表のように計算し,最後にウエイト×指数の総和である1017000から総ウエイトの和である10000を除した101.7が2008年のCPIということになる(なお,数値は近似値である。)。

日本では,基準年は,5年ごとに改訂されており,2005年~2009年は2005年が基準年,2010年~2014年は2010年が基準年,というように,基準年を起点にその後5年間を比較年としてCPIを算出するとされている。基準年が異なる年の間でのCPIの単純比較はできず,異なる基準年間の比較は,例えば,2005年を基準年として2010年を比較年とした指数を計算し(99.6),その指数で100を除した数を接続係数(1.004016)として,2005年を基準年として計算された2005年~2009年の指数に接続係数を掛けることにより比較することになる。具体的には下表のように示される。

しかしながら,厚生労働省による生活扶助相当CPIの計算方法は以下のとおり,総務省が採用するラスパイレス指数とは異なる計算方法が用いられており,しかも,ラスパイレス指数との結論の差は看過することのできないほど大きなものとなっている。
(ウ) 基準年が異なること
2008年の指数を算出する場合,総務省の計算においては,上記のとおり2005年が基準年となるが,生活扶助相当CPIにおいては2010年が基準年とされている。
この生活扶助相当CPIの計算方法は,政府の公式の計算方法であるラスパイレス指数とは異なる非公式の計算方法であるというだけでなく,各品目の支出割合がほぼ一定であった,2008年から2011年においては,物価下落が過大に評価される一方,物価上昇は過少に評価されるため,CPIの動向に強い「下方バイアス」がかかる結果となるという点に重大な問題がある。
比較のために、基準年の取り方を総務省方式にして試算した場合,結果は下表のとおりとなる。

このような結果となるのは,生活扶助相当CPIが2008年の生活扶助相当CPIの基準年を2010年を基準年としたことに起因する。つまり,支出割合が一定の場合,基準年を比較年より後の時点に設定するという計算方法では,2005年から2010年にかけて物価が下落している品目についてはCPI全体に与える影響は大きくなり,逆に物価の上昇している品目については,CPI全体に与える影響は小さくなる。その結果,物価の下落は物価の上昇に比べてCPI全体への影響が大きくなるため,物価が下がって見える。たとえば,下表のとおり,ノートパソコンの物価は大幅に下落しているため,2008年の指数は2010年を基準とすると8倍となり,2008年から2010年にかけて物価下落幅は△181.6となる。他方,ノートパソコンの下落率と同じ割合で物価が上昇した品目を仮定した場合,その品目の指数は逆に2010年を基準とした場合に8分の1となり,2008年から2010年にかけての物価上昇幅は64.8にすぎない。

2008年から2011年にかけて物価が上昇している品目は存在するもののその上昇率は低く,基準年を2010年にすることによる差は看過することができない程度に大きなものとなっている。
総務省は,消費構造の変化をより迅速に反映するため,CPIの参考指標としてラスパイレス連鎖指数を公表している。ラスパイレス連鎖指数とは,基準年を5年間固定するラスパイレス指数と異なり,毎年ウエイトを更新して指数を計算する指数であって,基準年から時間がたつにつれてバイアスが拡大するというラスパイレス指数の問題点から参考指標として用いられた数値である。2008年における総合CPIは101.7であり,ラスパイレス連鎖指数は101.5である。CPIの計算はその計算方法により結果に一定の差が生じるが,公式の計算方法による誤差はこのように0.2程度であることからすれば,基準年を2010年にすることによる差は許容される誤差の範囲をはるかに超える差異を生じさせるものと言わざるを得ない。
(エ) 2011年のCPIの基礎となる品目と2008年のCPIの基礎となる品目が異なること
統計学においては,その比較対象はそれぞれ同じ条件のもとで作成されたものでなければならないとされる。
しかしながら,厚生労働省の計算では,2011年(2010年基準)において基礎とされている品目は517品目,2008年(2005年基準)は485品目であって,32品目の差がある。
CPIの品目は5年ごとに見直されているところ,この32品目は2011年度には調査対象とされていたが2008年度には調査の対象とされていなかった品目である。
この差には,統計学上大きな問題がある。なぜなら,ラスパイレス指数の計算においてはウエイト×指数の総和を総ウエイトの和で除することになるが,2011年と2008年では総ウエイトの和は異なることになり,個々の品目の総ウエイトに占める割合が変動するからである。
例えば,テレビについてみてみると,ウエイトを総ウエイトの和で除すると以下のようになる。

このように一つの品目が全体のCPIの値に与える影響の程度が異なってしまうため,厚生労働省の計算方法では適切な比較をすることができない。
(オ) 結論の不適切性
本来,生活扶助相当CPIは総務省の作成による総合CPIの一部の指数を基に作成されたものであるはずであるから,生活扶助相当CPIと,生活扶助相当CPIの基礎とならなかった品目について生活扶助相当CPIと同様の計算方法により作成されたCPI(以下,「非生活扶助相当CPI」という。)とを加重平均すれば,総合CPIとほぼ同じ値が出るはずである。
しかしながら,2008年度における生活扶助相当CPIは104.5,非生活扶助相当CPIは102.0となるため,その平均値は約103強となるところ,同年の総合CPIは102.1であって大きく異なる。この差である約1は上記第2の1イ記載のとおりCPIの数値においては看過することのできない大きな差であることは明らかである。この点について,静岡大学の上藤一郎教授も「学術的な欠陥」と指摘されている。

(カ) 小括
このように,生活扶助相当CPIの計算方法は,単に歴史上も学説上も存在しない計算方法と言うだけでなく,その結論自体も物価を示すものとして到底是認できないと言わざるを得ない。
ウ ウエイトが生活保護利用者の消費実態に即したものでないこと
(ア) 物価動向は品目(費目)により異なり,所得階層により消費する品目のウエイトは異なること
当然のことであるが,物価の動向は品目(費目)により異なる。この間,大きく物価が下落しているのは,費目で言うと家具・家事用品費と教養娯楽費であり,それは,これらの費目の中に含まれる電化製品の物価の下落幅が大きいことによる。これに対し,食費の物価動向はほぼ横ばいであり,水道光熱費はむしろ上昇している。

そして,低所得になればなるほど,家計の中で食費や光熱費等の生活必需品が占める割合が高くなり,教養娯楽費等の占める割合は低くなる。特に,生活保護利用者等の低所得者は「贅沢品」の最たるものとも言える電化製品についてはほとんど購入することができないことは容易に推察できる(山田壮志郎氏(日本福祉大学准教授)らが行ったアンケート調査によれば,生活保護利用者の家計における電化製品が占めるウエイトは0.54%に過ぎなかった。)。



(イ)「社会保障生計調査」を活用していないこと
生活扶助相当CPIは生活保護費を物価変動に即して変更するために使用された値であるから,本来,生活保護利用者の消費実態に即して算出されなければならない。
現在日本では,生活保護利用者を対象とした調査として,社会保障生計調査が実施されており,同調査の調査原票を活用すれば,生活保護利用者の生活実態に即したウエイトを算出することが可能である。
しかしながら,生活扶助相当CPIにおいては,この社会保障生計調査に基づく品目やウエイトではなく,単に総合CPIのうち,①家賃,教育費,医療費など生活扶助以外の他扶助で賄われる品目,②自動車関係費,NHK受信料など原則生活保護受給世帯には生じない品目を除いた品目を用いて,計算されている。
この計算方法は,一見生活保護利用者の消費実態に整合する指標のように見えるが,以下のとおり,総合CPI以上に本来の生活保護利用者の生活実態から大きく乖離するものとなっている。
(ウ) 電化製品のウエイトが大きくなること
生活扶助相当CPIは上記のように一部の品目を除いているため総ウエイトの和が小さくなる一方で,個々のウエイトはそのまま計算されているため,個々の品目が全体に占める割合は重くなる。例えば,電化製品でいえば,具体的には下表のとおりとなり,一般世帯においては家計のうち10000分の211=0.0211が電化製品の支出に充てられているが,生活保護利用者においては家計のうち6185分の263≒0.0425が電化製品の支出に充てられている計算になる。すなわち,生活保護利用者が一般世帯よりも1.5倍以上の割合で電化製品を購入していることになるが,これが実態とかけ離れていることは明らかである。

さらに重要なのは,生活扶助相当CPIに含まれる品目のうち2008年から2011年にかけての物価の下落率が高い10個の品目は全て電化製品であるということである。
電化製品の占める割合が増加したことにより,電化製品の物価下落も実際以上に大きく算定され,その結果として,生活扶助相当CPIの数値は4.78%下落したとされているが,この下落は,生活保護利用者の消費実態を反映させたものではない。

(エ) テレビのウエイトが大きいこと
2008年についての生活扶助相当CPIの計算におけるウエイトは,総務省の計算方法(基準年は2005年)とことなり2010年が基準とされるところ,テレビのウエイトは,2005年には37であるが,2010年には97となっており,2倍以上となっている。これは,2010年が地上デジタル化の影響でテレビが非常によく売れたため,ウエイトが異例に重くなったのである。
ウエイトの問題に加えて,テレビは2008年から2011年にかけて約66.4%物価が下落しているため,テレビを除いて生活扶助相当CPIの計算方法によって物価の下落率を計算すると2%台となる。生活扶助相当CPIによる物価の下落率が4.78%であることからすれば,物価の下落率のうち約半分は,テレビの物価下落を表しているということができる。
しかし,生活保護利用者の場合,簡易チューナーが無償で配布されていたため,テレビを買い替える必要性はそもそもなかったため,テレビの購入は生活保護利用者の消費実態を反映させたものではない。
(オ) 小括
以上のとおり,生活扶助相当CPIのウエイトは生活保護利用者の消費実態に即したものではない上に,物価下落がより大きく反映されやすくなっており,基準を引き下げる根拠となる数値とは到底いえない。
エ 本来比較すべき年度を比較していないこと
生活保護基準の引き下げは,本件の以前では直近で2004年に行わ れたが,これは,2004年の時点で最低限度の生活費に相当する金額まで生活保護基準が引き下げられたものと解される。
そうとすれば,本来,2004年のCPIと基準引き下げ時においてCPIが公表されていた最新の年である2012年のCPIを比較すべきところを,厚生労働省は2008年と2011年を比較している。
下表は総合CPIではなく,低所得層である第Ⅰ・5分位のウエイトを用いた生活扶助相当CPIの試算であるが,これによれば,2008年と2011年の差は△2.9であり,2004年と2012年の差は△1.7であって1以上下落幅が異なる結果となる。

このように2008年と2011年を比較する合理的な理由はなく,しかも,これによるCPIの下落幅への影響も極めて大きい。
オ 小括
以上のとおり,生活扶助相当CPIは,
①政府の公式の計算方法であるラスパイレス指数と異なる学説上の根拠のない極めて特異な計算方法が用いられており,ラスパイレス指数との差は看過することができないほど大きいこと,
②ウエイトが生活保護利用者の消費実態に即したものでないこと,及び,
③本来比較すべき年度を比較していないこと
の3点において,物価変動を的確に示すものではなく,その結果,生活保護利用者の本来の消費実態に即した物価変動を大きく下回る結論となっている。
したがって,今回の基準引下げは,もはやCPIとの整合性を考慮しなかったものと言わざるを得ず,裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるため違法である。
(4)結論
以上のとおり,「生活扶助相当CPI」を根拠としてなされた生活扶助基準の引下げは,手続的にも内容的にも適正を欠き違法であるから,撤回すべきである。
2 平成25年以降物価は上昇しているため,基準を引き上げる必要があること
上記1⑷記載のとおり,第Ⅰ・5分位のウエイトを用いたとしても,2011年から2012年にかけて物価は0.2上昇している。
さらに,2013年についてみると,総合CPIの値で見ると,物価は上昇している(図1参照)。アベノミクスは2%のインフレ目標を掲げ,現に8月の消費者物価指数は前年同月比で0.8%上昇し,電気代(前年同月比8.9%上昇),ガソリン代(同13.2%上昇)等のエネルギー価格の上昇には著しいものがある。デフレは過大に考慮しながらインフレは一切考慮しないというのは,論理が一貫していない。

仮に,物価変動を理由として基準を変更するのが適切であるならば,現在物価の上昇局面にある以上,これ以上の生活扶助基準の引き下げを強行することは妥当ではなく,むしろ,来年度は生活扶助基準を引き上げるべきである。
以上