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1 はじめに
2020年6月25日、名古屋地方裁判所は、2013年からの大幅(平均6.5%、最大10%)な生活保護基準引下げ(以下、「本件引下げ」という。)処分の取消等を求める集団訴訟について、原告らの請求を棄却する判決(以下、「本判決」という。)を言い渡した。
しかし、本判決には、以下のとおり、見過ごすことのできない重大な問題点が多々存在しており、到底容認できない。
2 自民党の政権公約、国民感情、財政事情の考慮を積極的に容認したことの問題点
本判決(118頁~)は、本件引下げが2012年末の総選挙において生活保護の1割引下げを政権公約とした自民党の政策の影響を受けた可能性を認めた。この争点について、被告の国側は、「生活扶助基準の見直しは、その必要性に応じて適切に行われたものであって、自民党の政権公約を実現するとの政治的な意図で行われたものではない」と主張している(被告準備書面(9))。一般に政治領域に踏み込むことを避ける傾向にある裁判所は、争点から外すか、被告側の主張を認めることが予想されたが、本判決は、原告側の主張を正面から認めたのである。これは、本件引下げの根幹に横たわる動かしようのない「真実」から裁判所も逃げることができなかったものと評価できる。
ところが、本判決は、その自民党の政策は「国民感情や国の財政事情を踏まえたもの」であるから、厚生労働大臣が、生活扶助基準を改定するに当たり、「これらの事情を考慮することができることは明らか」と判示し、その判断に積極的なお墨付きを与えてしまった。ここに本判決の根本的な問題点がある。
(1)政治的意図の考慮は生活保護基準の本質に反する
現行生活保護法の立法担当者(厚生省保護課長)であった小山進次郎は、「保護の基準は飽く迄合理的な基礎資料によって算定さるべく、その決定に当り政治的色彩の混入することは厳に避けらるべき」としていた(「改訂増補生活保護法の解釋と運用」168頁)。すなわち、わが国の生存権保障の水準(ナショナル・ミニマム)を画する保護基準は、立法当初から、客観的資料に基づいて科学的に定められるべきであり、政治的意図で歪められてはならないものとされていたのである。
にもかかわらず、本判決は、政権与党の選挙公約の影響を受けても良いとした点において、生活保護基準の本質に反する。
(2)「財政事情」や「国民感情」の考慮は、生活保護法による委任の趣旨を逸脱する
生活保護法8条1項は、保護基準設定の権限を厚生労働大臣に委任しているが、フリーハンドの権限を与えているわけではない。同法8条2項と9条は、厚生労働大臣が保護基準を設定するにあたって考慮すべき事項を、要保護者の年齢、世帯構成、所在地域、健康状態等の生活上の要素に限定している。厚生労働大臣は、これらを考慮したうえで、「健康で文化的な最低限度の生活」上の「需要(=ニーズ)」を「満たすに十分な(=確実に満たす)」保護基準を設定することを義務付けられている。すなわち、生活保護法が考慮を求めているのは、こうした生活上の需要を判断するための諸要素に限定されており、「国民感情」や「財政事情」等の生活外要素は考慮できる事項とはされていないのである。
ところが、本判決(72頁)は、厚生労働大臣が生活扶助基準の設定における裁量権を行使するにあたり、「生活保護法8条2項所定の事項を考慮することが義務づけられるということはできず、同項及び9条に定められた事項以外の事項を考慮することが許されないということはできない」とまで言い切り、その結果、前記のとおり「財政事情」や「国民感情」の考慮を認めた。法律の規定を正面から否定した、あり得ない判断である。
(3)「財政事情」や「国民感情」の考慮は、過去の最高裁判決にも反する
まず、朝日訴訟最高裁判決(昭和42年5月24日)には「国民感情」の考慮を認める判示部分があるが、これは、訴訟自体が上告人死亡によって終了した中、先例拘束性のない傍論部分で示された判断である。実際、その後の最高裁が、憲法25条の解釈論として朝日訴訟最高裁判決を引用したことは一度もない。
次に、堀木訴訟最高裁判決(昭和57年7月7日)には「財政事情」の考慮を認める判示部分があるが、これは立法(児童扶養手当法)裁量の判断として示されたものであり、厚生労働大臣の裁量権の範囲を判断したものではない。
そして、老齢加算廃止に関する東京訴訟最高裁判決(平成24年2月28日)と同福岡訴訟最高裁判決(平成24年4月2日)に「国民感情」の考慮を認める部分は全くない。また、両判決とも、「健康で文化的な最低限度の生活」ラインを画する判断場面では「財政事情」の考慮を認めておらず、老齢加算の根拠となる特別需要が認められない場合の「激変緩和措置」(つまり、最低生活は確保されたうえでのプラスα)の判断場面で初めて「財政事情」を考慮している。
したがって、「最低限度の生活」ラインを画する判断場面において、財政事情の考慮を認める本判決は、過去の最高裁判決にも明らかに反している。
3 時代錯誤の「絶対的貧困観」に立脚する問題点
本判決(119頁~)は、原告側が提出した調査結果でも、1日の食事回数が3回の者が一定割合(6~7割以上)いることや、冷蔵庫・炊飯器などの生活必需品に類する耐久財を保有する者が多いことなどを指摘して、「健康で文化的な生活を下回っているとまではいえない者が一定割合存在する」と判示した。
しかし、上記調査結果は、むしろ、1日3食とれていない者が3~4割いることや、3食とれていてもその質が劣悪であることを示している。生活保護利用者が「健康で文化的な生活」を営めている根拠と捉えることは到底できない内容である。
今日では、少なくとも、人との交流や趣味等の文化的活動を含め、社会で当たり前とされている生活ができない状態が貧困であると捉えられている(「相対的貧困観」)。上記判示は、肉体的生存さえ維持できていれば貧困とはいえない、という終戦直後の「絶対的貧困観」に立脚する時代錯誤の判断であり、生存権という重要な人権の本質を全く理解していないと言わざるを得ない。
4 人権の国際標準を無視した問題点
日本も批准する国連の社会権規約9条は、締約国が全ての者に社会保障の権利を認めることを定めており、社会保障についてとられる後退的措置は、権利の漸進的実現についての法的義務を定める規約2条1項の趣旨に反し、規約違反の強い推定を受ける。憲法98条2項で人権条約を「誠実に遵守する」と謳う日本は、これらの条約解釈を尊重しなければならない。
ところが、本判決(71頁)は、過去の最高裁判決を踏襲して、社会権規約9条、2条1項の規定を政治的責任の宣明に過ぎないとし、社会権規約の法的規範性を否定した。
社会権規約委員会は、日本の政府報告書審査において、社会権規約の法的規範性を認めない裁判所の姿勢が誤りであり、日本政府が裁判所の立場を支持することで規約上の義務に違反していると度々指摘している。本判決が、今回再び誤った解釈に基づく判断を示したことは、裁判所が人権の国際標準を無視していることを改めて国内外に示したものと言わざるを得ない。
5 老齢加算廃止に関する最高裁判決から大きく後退し、専門家の意見の軽視を容認した問題点
(1)生活保護基準の改定は専門家の意見を踏まえて行うものとされてきた
小山進次郎は、1(1)で引用した箇所に続けて、保護基準の算定のための「合理的な基礎資料は社会保障制度審議会の最低生活水準に関する調査研究の完了によって得らるべきことを説明し、且つ、社会事業審議会に部会を設け実際の運用に当りその趣旨を生かすことを言明して(国会の)了解を得た」と記している。
そして、実際、その後の生活保護基準の改定は、常に専門家からなる審議会の検討結果を踏まえて行われてきたのが歴史的事実である。
(2)老齢加算廃止に関する最高裁判決の規範
老齢加算訴訟の二つの最高裁判決は、いずれも、堀木訴訟最高裁判決を「参照」し、保護基準の具体化にあたっては、「高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断」が必要としたうえで、これを一歩進めた。すなわち、まず行わなければならない「高度の専門技術的な考察」において、「統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性」の有無について審査判断すべき、という具体的な判断基準を示したのである(特に、福岡事件判決は、処分取消しを認めた福岡高裁判決を破棄し審理を差し戻すにあたって、上記の点を審査すべきことを明確に示している。)。
これは、最高裁が、(1)で述べた歴史的事実を裁量判断の判断規範として取り入れたものとも評価できる。
(3)本件引下げは老齢加算訴訟最高裁判決の規範に明らかに反する
1983年から現在に至るまで国が採用している「水準均衡方式」という生活保護基準の改定方式は、消費水準と生活保護基準を比較する方式であり、物価を直接考慮したことはこれまで一度もない。
ところが、総額670億円の本件引下げのうち、9割近くを占める580億円は、物価を考慮した「デフレ調整」である。史上初めて物価を考慮するのであれば、当然専門家の意見を聞くべきであるが、専門家からなる審議会である生活保護基準部会での検討は全くなされなかった。しかも、厚労省は、物価を考慮するにあたって、特殊な計算方式を敢えて作出し、「マイナス4.78%」もの物価下落率を導いた。しかし、これは、生活保護利用世帯の消費実態を全く反映しない一般世帯の消費データを基礎資料として、総務省が通常用いるラスパイレス式と異なる物価下落率が大きくなる計算方式が用いられた点で、およそ生活保護利用世帯の物価の実態を反映しないものである。
残りの90億円の削減は、基準部会の検討を一応ふまえた「ゆがみ調整」であるが、ここでも、基準部会に無断で検証結果の数値を増額方向のものも含めて一律2分の1にしていたことが、北海道新聞のスクープ報道(2016年6月18日朝刊)によって明らかになった。基準部会の検証結果では本来増額となるはずであった単身高齢世帯の増額幅が、この一律2分の1計算によって削減された結果、総額で98億円程度の削減効果が追加されることとなった(原告弁護団による計算であるが、被告国も総額で削減効果があったことは認めた)。
また、貧困研究の第一人者で基準部会の部会長代理の要職にあった岩田正美氏(日本女子大学名誉教授)は、原告側の証人として、「デフレ調整について基準部会は容認などしていない」「物価の本格的考慮は水準均衡方式の本質に反する」と明確に証言した。さらに、岩田氏は、「財政削減のために私たちは利用されたのかもしれない」とまで述べ、その忸怩たる思いを語られた。
このように総額670億円の削減額のほとんど全てが、基準部会という専門家集団の意見を無視して強行されたことが審理の中で否定することのできない事実となった。
本件引下げが、「統計等の客観的数値」や「専門的知見」を踏まえていないことはもはや明白であり、老齢加算最高裁判例の規範に照らせば、当然違法と判断されてしかるべきであった。
(4)本判決は老齢加算訴訟最高裁判決の規範を採用せず、ほぼ無限定の裁量を認めた
ところが、本判決は、老齢加算訴訟最高裁判決の「統計等の客観的数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性」の有無という判断基準を採用せず、ほぼ無限定といってもよい、極めて広範な裁量を厚生労働大臣に認めた。
その結果、本判決(73頁)は、「生活扶助基準の改定に当たっては専門家により構成された審議会等による検討結果を踏まえて行うことが通例であった」と認めながら、「専門家の検討を経ていないことをもって直ちに生活扶助基準の改定における厚生労働大臣の裁量権が制約されるということはできない」とした。
そして、本判決は、原被告間で激しく争われたすべての論点において、広範な裁量論に逃げ込み、ほとんど理由を示すこともなく被告国側の主張を丸のみしたのである。
6 最後に
以上のとおり、本判決は、老齢加算訴訟最高裁判決の到達点から大きく後退し、厚生労働大臣にほぼ無限定な裁量を認め、専門家の検討を経ない、時の政権党の政治的意図に基づく生活保護基準引下げを容認した。
このような判断が是認され定着することとなれば、司法府は時の政権党と行政府の追認機関と堕し、その存在意義を失うとともに、わが国の生存権保障は「絵に描いた餅」となりかねない。
本年7月7日、名古屋地裁の原告らは既に名古屋高裁に控訴し、他の28地裁での同種訴訟の審理も大詰めを迎えつつある。私たちは、名古屋地裁の最低最悪な不当判決の克服をめざして、改めて全力を尽くすことを誓うとともに、後続の審理及び判決を担う裁判所に対し、行政裁量に対する司法的統制を通じて本来の職責を果たすことを強く求める。
そして、全ての国民・市民、メディア関係者に対し、この判決の問題点を知り、ともに声をあげることを呼び掛けるものである。
[概要版]
1 はじめに
〇 2020年6月25日、名古屋地方裁判所は、2013年からの大幅(平均6.5%、最大10%)な生活保護基準引下げ処分の取消等を求める集団訴訟について、原告らの請求を棄却する判決を言い渡した。
2 自民党の政権公約、国民感情、財政事情の考慮を積極的に容認したことの問題点
○ 判決は、この引下げが2012年末の総選挙において生活保護の1割引下げを政権公約とした自民党の政策の影響を受けた可能性を認めた。
○ 判決は、自民党の政策は国民感情や国の財政事情を踏まえたものであり、厚生労働大臣はこれらの事情を考慮することができるとし、その判断にお墨付きを与えてしまった。
(1)政治的意図の考慮は生活保護基準の本質に反する
○ 日本の生存権保障の水準(ナショナル・ミニマム)を決める保護基準は、客観的資料に基づいて科学的に定められるべきであり、政治的意図で歪められてはならない。
○ 判決は与党の公約の影響を受けても良いとした点で、生活保護基準の本質に反する。
(2)「財政事情」や「国民感情」の考慮は、生活保護法の趣旨からはずれている
○ 生活保護法は、厚生労働大臣が保護基準を設定するにあたって考慮すべき事項を、要保護者の年齢、世帯構成、所在地域、健康状態等の生活上の要素に限定している。
○ 厚生労働大臣はこれらを考慮したうえで、健康で文化的な最低限度の生活上のニーズを満たすに十分な保護基準を設定することを義務付けられており、国民感情や財政事情等の生活とは関係ない要素は、考慮すべき事項とはされていない。
○ 判決は、厚生労働大臣が生活扶助基準を決めるにあたり、生活保護法に書かれた考慮事項は義務とまではいえず、またそれ以外の事項を考慮することが許されないとまではいえないとして、法律の規定を正面から否定した。
(3)「財政事情」や「国民感情」の考慮は、過去の最高裁判決にも反する
○ 朝日訴訟最高裁判決(昭和42年5月24日)は国民感情の考慮を認めたが、これは上告人死亡によって訴訟が終了した中、先例として拘束性のない部分で示された判断である。
○ 堀木訴訟最高裁判決(昭和57年7月7日)は財政事情の考慮を認めたが、これは立法(児童扶養手当法)裁量の判断であり、厚生労働大臣の裁量権について判断したものではない。
○ 老齢加算廃止に関する東京訴訟最高裁判決(平成24年2月28日)と同福岡訴訟最高裁判決(平成24年4月2日)に国民感情の考慮を認める部分はない。また、両判決とも、健康で文化的な最低限度の生活ラインについての判断では財政事情の考慮を認めていない。
○ 最低限度の生活ラインを決める際に財政事情の考慮を認める今回の判決は、過去の最高裁判決に明らかに反している。
3 時代錯誤の判断に立脚する問題点
○ 判決は原告が示した調査結果から、原告の中に1日3食たべている人が6~7割以上いることや、冷蔵庫・炊飯器などをもつ人が多いことなどを指摘して、健康で文化的な生活を下回っているとまではいえないとした。
○ 上記調査結果は、むしろ、1日3食とれていない人が3~4割いることや、3食とれていてもその質が劣悪であることを示している。
○ 人との交流や趣味等の文化的活動を含め、社会で当たり前とされている生活ができない状態を貧困というにもかかわらず、判決は、肉体的生存さえ維持できていれば貧困とはいえないという時代錯誤の判断であり、生存権の本質を全く理解していない。
4 人権の国際標準を無視した問題点
○ 国連の社会権規約は、締約国が全ての人に社会保障の権利を認めることを定めており、社会保障を後退させることは社会権規約の趣旨に反する。
○ 判決はこうした社会権規約の規定は政治的責任を述べたに過ぎないとし、締約国が社会権規約を守る義務があることを否定した。
○ 判決は、裁判所が人権の国際標準を無視していることを国内外に示した。
5 老齢加算廃止に関する最高裁判決から大きく後退し、専門家の意見の軽視を容認した問題点
(1)生活保護基準の改定は専門家の意見を踏まえて行うものとされてきた
○ 生活保護基準の改定は、常に専門家からなる審議会の検討結果を踏まえて行われてきたのが歴史的事実である。
(2)老齢加算廃止に関する最高裁判決の規範
○ 老齢加算訴訟の二つの最高裁判決は、保護基準の具体化にあたって、高度の専門技術的な考察をする上で統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性を踏まえ、審査判断すべきという判断基準を示した。
(3)今回の引下げは老齢加算訴訟最高裁判決に明らかに反する
○ 国が生活保護基準を決めるにあたっては消費水準と生活保護基準を比較する方式をとっていて、物価を考慮したことはこれまで一度もない。
○ 今回の総額670億円の引下げのうち、9割近くを占める580億円は、史上初めて物価を考慮したデフレ調整なのに、専門家からなる生活保護基準部会での検討はされなかった。
○ 厚労省は物価を考慮するにあたって特殊な計算方式を作り出し4.78%も物価が下がったという。しかしこれは一般世帯の消費データをもとに、物価下落率が大きくなるように作られた計算方式であり、生活保護利用世帯の実態を反映していない。
○ 残り90億円の削減は、低所得層の消費実態を踏まえて保護基準を見直すゆがみ調整だが、厚労省が基準部会に無断で検証結果の数値を2分の1にしたため、全体として削減となった。
(3)判決は老齢加算訴訟最高裁判決を採用せず、ほぼ無限定の裁量を認めた
○ 判決は「生活扶助基準の改定に当たっては専門家により構成された審議会等による検討結果を踏まえて行うことが通例であった」と認めながら、「専門家の検討を経ていないことをもって直ちに生活扶助基準の改定における厚生労働大臣の裁量権が制約されるということはできない」として、極めて広い裁量を厚生労働大臣に認めた。
6 最後に
○ 判決は厚生労働大臣にほぼ無限定な裁量を認め、専門家の検討を経ない、時の政権党の政治的意図に基づく生活保護基準引下げを容認した。
○ このような判断が是認され定着すれば、司法は時の政権と行政の追認機関となり、その存在意義を失う。また、わが国の生存権保障は「絵に描いた餅」となる。
○ 私たちは、名古屋地裁の最低最悪な不当判決の克服をめざして全力を尽くすことを誓うとともに、裁判所が本来の職責を果たすことを強く求める。
○ 全ての国民・市民、メディア関係者に対し、この判決の問題点を知り、ともに声をあげることを呼び掛ける。
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2020年7月22日
生活保護基準引下げに関する
名古屋地裁“不当判決”の克服をめざして
名古屋地裁“不当判決”の克服をめざして
いのちのとりで裁判全国アクション
生活保護基準引下げにNO!全国争訟ネット
生活保護基準引下げにNO!全国争訟ネット
1 はじめに
2020年6月25日、名古屋地方裁判所は、2013年からの大幅(平均6.5%、最大10%)な生活保護基準引下げ(以下、「本件引下げ」という。)処分の取消等を求める集団訴訟について、原告らの請求を棄却する判決(以下、「本判決」という。)を言い渡した。
しかし、本判決には、以下のとおり、見過ごすことのできない重大な問題点が多々存在しており、到底容認できない。
2 自民党の政権公約、国民感情、財政事情の考慮を積極的に容認したことの問題点
本判決(118頁~)は、本件引下げが2012年末の総選挙において生活保護の1割引下げを政権公約とした自民党の政策の影響を受けた可能性を認めた。この争点について、被告の国側は、「生活扶助基準の見直しは、その必要性に応じて適切に行われたものであって、自民党の政権公約を実現するとの政治的な意図で行われたものではない」と主張している(被告準備書面(9))。一般に政治領域に踏み込むことを避ける傾向にある裁判所は、争点から外すか、被告側の主張を認めることが予想されたが、本判決は、原告側の主張を正面から認めたのである。これは、本件引下げの根幹に横たわる動かしようのない「真実」から裁判所も逃げることができなかったものと評価できる。
ところが、本判決は、その自民党の政策は「国民感情や国の財政事情を踏まえたもの」であるから、厚生労働大臣が、生活扶助基準を改定するに当たり、「これらの事情を考慮することができることは明らか」と判示し、その判断に積極的なお墨付きを与えてしまった。ここに本判決の根本的な問題点がある。
(1)政治的意図の考慮は生活保護基準の本質に反する
現行生活保護法の立法担当者(厚生省保護課長)であった小山進次郎は、「保護の基準は飽く迄合理的な基礎資料によって算定さるべく、その決定に当り政治的色彩の混入することは厳に避けらるべき」としていた(「改訂増補生活保護法の解釋と運用」168頁)。すなわち、わが国の生存権保障の水準(ナショナル・ミニマム)を画する保護基準は、立法当初から、客観的資料に基づいて科学的に定められるべきであり、政治的意図で歪められてはならないものとされていたのである。
にもかかわらず、本判決は、政権与党の選挙公約の影響を受けても良いとした点において、生活保護基準の本質に反する。
(2)「財政事情」や「国民感情」の考慮は、生活保護法による委任の趣旨を逸脱する
生活保護法8条1項は、保護基準設定の権限を厚生労働大臣に委任しているが、フリーハンドの権限を与えているわけではない。同法8条2項と9条は、厚生労働大臣が保護基準を設定するにあたって考慮すべき事項を、要保護者の年齢、世帯構成、所在地域、健康状態等の生活上の要素に限定している。厚生労働大臣は、これらを考慮したうえで、「健康で文化的な最低限度の生活」上の「需要(=ニーズ)」を「満たすに十分な(=確実に満たす)」保護基準を設定することを義務付けられている。すなわち、生活保護法が考慮を求めているのは、こうした生活上の需要を判断するための諸要素に限定されており、「国民感情」や「財政事情」等の生活外要素は考慮できる事項とはされていないのである。
ところが、本判決(72頁)は、厚生労働大臣が生活扶助基準の設定における裁量権を行使するにあたり、「生活保護法8条2項所定の事項を考慮することが義務づけられるということはできず、同項及び9条に定められた事項以外の事項を考慮することが許されないということはできない」とまで言い切り、その結果、前記のとおり「財政事情」や「国民感情」の考慮を認めた。法律の規定を正面から否定した、あり得ない判断である。
(3)「財政事情」や「国民感情」の考慮は、過去の最高裁判決にも反する
まず、朝日訴訟最高裁判決(昭和42年5月24日)には「国民感情」の考慮を認める判示部分があるが、これは、訴訟自体が上告人死亡によって終了した中、先例拘束性のない傍論部分で示された判断である。実際、その後の最高裁が、憲法25条の解釈論として朝日訴訟最高裁判決を引用したことは一度もない。
次に、堀木訴訟最高裁判決(昭和57年7月7日)には「財政事情」の考慮を認める判示部分があるが、これは立法(児童扶養手当法)裁量の判断として示されたものであり、厚生労働大臣の裁量権の範囲を判断したものではない。
そして、老齢加算廃止に関する東京訴訟最高裁判決(平成24年2月28日)と同福岡訴訟最高裁判決(平成24年4月2日)に「国民感情」の考慮を認める部分は全くない。また、両判決とも、「健康で文化的な最低限度の生活」ラインを画する判断場面では「財政事情」の考慮を認めておらず、老齢加算の根拠となる特別需要が認められない場合の「激変緩和措置」(つまり、最低生活は確保されたうえでのプラスα)の判断場面で初めて「財政事情」を考慮している。
したがって、「最低限度の生活」ラインを画する判断場面において、財政事情の考慮を認める本判決は、過去の最高裁判決にも明らかに反している。
3 時代錯誤の「絶対的貧困観」に立脚する問題点
本判決(119頁~)は、原告側が提出した調査結果でも、1日の食事回数が3回の者が一定割合(6~7割以上)いることや、冷蔵庫・炊飯器などの生活必需品に類する耐久財を保有する者が多いことなどを指摘して、「健康で文化的な生活を下回っているとまではいえない者が一定割合存在する」と判示した。
しかし、上記調査結果は、むしろ、1日3食とれていない者が3~4割いることや、3食とれていてもその質が劣悪であることを示している。生活保護利用者が「健康で文化的な生活」を営めている根拠と捉えることは到底できない内容である。
今日では、少なくとも、人との交流や趣味等の文化的活動を含め、社会で当たり前とされている生活ができない状態が貧困であると捉えられている(「相対的貧困観」)。上記判示は、肉体的生存さえ維持できていれば貧困とはいえない、という終戦直後の「絶対的貧困観」に立脚する時代錯誤の判断であり、生存権という重要な人権の本質を全く理解していないと言わざるを得ない。
4 人権の国際標準を無視した問題点
日本も批准する国連の社会権規約9条は、締約国が全ての者に社会保障の権利を認めることを定めており、社会保障についてとられる後退的措置は、権利の漸進的実現についての法的義務を定める規約2条1項の趣旨に反し、規約違反の強い推定を受ける。憲法98条2項で人権条約を「誠実に遵守する」と謳う日本は、これらの条約解釈を尊重しなければならない。
ところが、本判決(71頁)は、過去の最高裁判決を踏襲して、社会権規約9条、2条1項の規定を政治的責任の宣明に過ぎないとし、社会権規約の法的規範性を否定した。
社会権規約委員会は、日本の政府報告書審査において、社会権規約の法的規範性を認めない裁判所の姿勢が誤りであり、日本政府が裁判所の立場を支持することで規約上の義務に違反していると度々指摘している。本判決が、今回再び誤った解釈に基づく判断を示したことは、裁判所が人権の国際標準を無視していることを改めて国内外に示したものと言わざるを得ない。
5 老齢加算廃止に関する最高裁判決から大きく後退し、専門家の意見の軽視を容認した問題点
(1)生活保護基準の改定は専門家の意見を踏まえて行うものとされてきた
小山進次郎は、1(1)で引用した箇所に続けて、保護基準の算定のための「合理的な基礎資料は社会保障制度審議会の最低生活水準に関する調査研究の完了によって得らるべきことを説明し、且つ、社会事業審議会に部会を設け実際の運用に当りその趣旨を生かすことを言明して(国会の)了解を得た」と記している。
そして、実際、その後の生活保護基準の改定は、常に専門家からなる審議会の検討結果を踏まえて行われてきたのが歴史的事実である。
(2)老齢加算廃止に関する最高裁判決の規範
老齢加算訴訟の二つの最高裁判決は、いずれも、堀木訴訟最高裁判決を「参照」し、保護基準の具体化にあたっては、「高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断」が必要としたうえで、これを一歩進めた。すなわち、まず行わなければならない「高度の専門技術的な考察」において、「統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性」の有無について審査判断すべき、という具体的な判断基準を示したのである(特に、福岡事件判決は、処分取消しを認めた福岡高裁判決を破棄し審理を差し戻すにあたって、上記の点を審査すべきことを明確に示している。)。
これは、最高裁が、(1)で述べた歴史的事実を裁量判断の判断規範として取り入れたものとも評価できる。
(3)本件引下げは老齢加算訴訟最高裁判決の規範に明らかに反する
1983年から現在に至るまで国が採用している「水準均衡方式」という生活保護基準の改定方式は、消費水準と生活保護基準を比較する方式であり、物価を直接考慮したことはこれまで一度もない。
ところが、総額670億円の本件引下げのうち、9割近くを占める580億円は、物価を考慮した「デフレ調整」である。史上初めて物価を考慮するのであれば、当然専門家の意見を聞くべきであるが、専門家からなる審議会である生活保護基準部会での検討は全くなされなかった。しかも、厚労省は、物価を考慮するにあたって、特殊な計算方式を敢えて作出し、「マイナス4.78%」もの物価下落率を導いた。しかし、これは、生活保護利用世帯の消費実態を全く反映しない一般世帯の消費データを基礎資料として、総務省が通常用いるラスパイレス式と異なる物価下落率が大きくなる計算方式が用いられた点で、およそ生活保護利用世帯の物価の実態を反映しないものである。
残りの90億円の削減は、基準部会の検討を一応ふまえた「ゆがみ調整」であるが、ここでも、基準部会に無断で検証結果の数値を増額方向のものも含めて一律2分の1にしていたことが、北海道新聞のスクープ報道(2016年6月18日朝刊)によって明らかになった。基準部会の検証結果では本来増額となるはずであった単身高齢世帯の増額幅が、この一律2分の1計算によって削減された結果、総額で98億円程度の削減効果が追加されることとなった(原告弁護団による計算であるが、被告国も総額で削減効果があったことは認めた)。
また、貧困研究の第一人者で基準部会の部会長代理の要職にあった岩田正美氏(日本女子大学名誉教授)は、原告側の証人として、「デフレ調整について基準部会は容認などしていない」「物価の本格的考慮は水準均衡方式の本質に反する」と明確に証言した。さらに、岩田氏は、「財政削減のために私たちは利用されたのかもしれない」とまで述べ、その忸怩たる思いを語られた。
このように総額670億円の削減額のほとんど全てが、基準部会という専門家集団の意見を無視して強行されたことが審理の中で否定することのできない事実となった。
本件引下げが、「統計等の客観的数値」や「専門的知見」を踏まえていないことはもはや明白であり、老齢加算最高裁判例の規範に照らせば、当然違法と判断されてしかるべきであった。
(4)本判決は老齢加算訴訟最高裁判決の規範を採用せず、ほぼ無限定の裁量を認めた
ところが、本判決は、老齢加算訴訟最高裁判決の「統計等の客観的数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性」の有無という判断基準を採用せず、ほぼ無限定といってもよい、極めて広範な裁量を厚生労働大臣に認めた。
その結果、本判決(73頁)は、「生活扶助基準の改定に当たっては専門家により構成された審議会等による検討結果を踏まえて行うことが通例であった」と認めながら、「専門家の検討を経ていないことをもって直ちに生活扶助基準の改定における厚生労働大臣の裁量権が制約されるということはできない」とした。
そして、本判決は、原被告間で激しく争われたすべての論点において、広範な裁量論に逃げ込み、ほとんど理由を示すこともなく被告国側の主張を丸のみしたのである。
6 最後に
以上のとおり、本判決は、老齢加算訴訟最高裁判決の到達点から大きく後退し、厚生労働大臣にほぼ無限定な裁量を認め、専門家の検討を経ない、時の政権党の政治的意図に基づく生活保護基準引下げを容認した。
このような判断が是認され定着することとなれば、司法府は時の政権党と行政府の追認機関と堕し、その存在意義を失うとともに、わが国の生存権保障は「絵に描いた餅」となりかねない。
本年7月7日、名古屋地裁の原告らは既に名古屋高裁に控訴し、他の28地裁での同種訴訟の審理も大詰めを迎えつつある。私たちは、名古屋地裁の最低最悪な不当判決の克服をめざして、改めて全力を尽くすことを誓うとともに、後続の審理及び判決を担う裁判所に対し、行政裁量に対する司法的統制を通じて本来の職責を果たすことを強く求める。
そして、全ての国民・市民、メディア関係者に対し、この判決の問題点を知り、ともに声をあげることを呼び掛けるものである。
以 上
[概要版]
2020年7月22日
生活保護基準引下げに関する
名古屋地裁“不当判決”の克服をめざして
【概要版】
名古屋地裁“不当判決”の克服をめざして
【概要版】
いのちのとりで裁判全国アクション
生活保護基準引下げにNO!全国争訟ネット
生活保護基準引下げにNO!全国争訟ネット
1 はじめに
〇 2020年6月25日、名古屋地方裁判所は、2013年からの大幅(平均6.5%、最大10%)な生活保護基準引下げ処分の取消等を求める集団訴訟について、原告らの請求を棄却する判決を言い渡した。
2 自民党の政権公約、国民感情、財政事情の考慮を積極的に容認したことの問題点
○ 判決は、この引下げが2012年末の総選挙において生活保護の1割引下げを政権公約とした自民党の政策の影響を受けた可能性を認めた。
○ 判決は、自民党の政策は国民感情や国の財政事情を踏まえたものであり、厚生労働大臣はこれらの事情を考慮することができるとし、その判断にお墨付きを与えてしまった。
(1)政治的意図の考慮は生活保護基準の本質に反する
○ 日本の生存権保障の水準(ナショナル・ミニマム)を決める保護基準は、客観的資料に基づいて科学的に定められるべきであり、政治的意図で歪められてはならない。
○ 判決は与党の公約の影響を受けても良いとした点で、生活保護基準の本質に反する。
(2)「財政事情」や「国民感情」の考慮は、生活保護法の趣旨からはずれている
○ 生活保護法は、厚生労働大臣が保護基準を設定するにあたって考慮すべき事項を、要保護者の年齢、世帯構成、所在地域、健康状態等の生活上の要素に限定している。
○ 厚生労働大臣はこれらを考慮したうえで、健康で文化的な最低限度の生活上のニーズを満たすに十分な保護基準を設定することを義務付けられており、国民感情や財政事情等の生活とは関係ない要素は、考慮すべき事項とはされていない。
○ 判決は、厚生労働大臣が生活扶助基準を決めるにあたり、生活保護法に書かれた考慮事項は義務とまではいえず、またそれ以外の事項を考慮することが許されないとまではいえないとして、法律の規定を正面から否定した。
(3)「財政事情」や「国民感情」の考慮は、過去の最高裁判決にも反する
○ 朝日訴訟最高裁判決(昭和42年5月24日)は国民感情の考慮を認めたが、これは上告人死亡によって訴訟が終了した中、先例として拘束性のない部分で示された判断である。
○ 堀木訴訟最高裁判決(昭和57年7月7日)は財政事情の考慮を認めたが、これは立法(児童扶養手当法)裁量の判断であり、厚生労働大臣の裁量権について判断したものではない。
○ 老齢加算廃止に関する東京訴訟最高裁判決(平成24年2月28日)と同福岡訴訟最高裁判決(平成24年4月2日)に国民感情の考慮を認める部分はない。また、両判決とも、健康で文化的な最低限度の生活ラインについての判断では財政事情の考慮を認めていない。
○ 最低限度の生活ラインを決める際に財政事情の考慮を認める今回の判決は、過去の最高裁判決に明らかに反している。
3 時代錯誤の判断に立脚する問題点
○ 判決は原告が示した調査結果から、原告の中に1日3食たべている人が6~7割以上いることや、冷蔵庫・炊飯器などをもつ人が多いことなどを指摘して、健康で文化的な生活を下回っているとまではいえないとした。
○ 上記調査結果は、むしろ、1日3食とれていない人が3~4割いることや、3食とれていてもその質が劣悪であることを示している。
○ 人との交流や趣味等の文化的活動を含め、社会で当たり前とされている生活ができない状態を貧困というにもかかわらず、判決は、肉体的生存さえ維持できていれば貧困とはいえないという時代錯誤の判断であり、生存権の本質を全く理解していない。
4 人権の国際標準を無視した問題点
○ 国連の社会権規約は、締約国が全ての人に社会保障の権利を認めることを定めており、社会保障を後退させることは社会権規約の趣旨に反する。
○ 判決はこうした社会権規約の規定は政治的責任を述べたに過ぎないとし、締約国が社会権規約を守る義務があることを否定した。
○ 判決は、裁判所が人権の国際標準を無視していることを国内外に示した。
5 老齢加算廃止に関する最高裁判決から大きく後退し、専門家の意見の軽視を容認した問題点
(1)生活保護基準の改定は専門家の意見を踏まえて行うものとされてきた
○ 生活保護基準の改定は、常に専門家からなる審議会の検討結果を踏まえて行われてきたのが歴史的事実である。
(2)老齢加算廃止に関する最高裁判決の規範
○ 老齢加算訴訟の二つの最高裁判決は、保護基準の具体化にあたって、高度の専門技術的な考察をする上で統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性を踏まえ、審査判断すべきという判断基準を示した。
(3)今回の引下げは老齢加算訴訟最高裁判決に明らかに反する
○ 国が生活保護基準を決めるにあたっては消費水準と生活保護基準を比較する方式をとっていて、物価を考慮したことはこれまで一度もない。
○ 今回の総額670億円の引下げのうち、9割近くを占める580億円は、史上初めて物価を考慮したデフレ調整なのに、専門家からなる生活保護基準部会での検討はされなかった。
○ 厚労省は物価を考慮するにあたって特殊な計算方式を作り出し4.78%も物価が下がったという。しかしこれは一般世帯の消費データをもとに、物価下落率が大きくなるように作られた計算方式であり、生活保護利用世帯の実態を反映していない。
○ 残り90億円の削減は、低所得層の消費実態を踏まえて保護基準を見直すゆがみ調整だが、厚労省が基準部会に無断で検証結果の数値を2分の1にしたため、全体として削減となった。
(3)判決は老齢加算訴訟最高裁判決を採用せず、ほぼ無限定の裁量を認めた
○ 判決は「生活扶助基準の改定に当たっては専門家により構成された審議会等による検討結果を踏まえて行うことが通例であった」と認めながら、「専門家の検討を経ていないことをもって直ちに生活扶助基準の改定における厚生労働大臣の裁量権が制約されるということはできない」として、極めて広い裁量を厚生労働大臣に認めた。
6 最後に
○ 判決は厚生労働大臣にほぼ無限定な裁量を認め、専門家の検討を経ない、時の政権党の政治的意図に基づく生活保護基準引下げを容認した。
○ このような判断が是認され定着すれば、司法は時の政権と行政の追認機関となり、その存在意義を失う。また、わが国の生存権保障は「絵に描いた餅」となる。
○ 私たちは、名古屋地裁の最低最悪な不当判決の克服をめざして全力を尽くすことを誓うとともに、裁判所が本来の職責を果たすことを強く求める。
○ 全ての国民・市民、メディア関係者に対し、この判決の問題点を知り、ともに声をあげることを呼び掛ける。
以上
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