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2011年7月6日
市民生活の岩盤である生活保護基準の引下げに
反対する意見書
~低きに合わせるのは本末転倒!~
第1 意見の趣旨
市民生活の最後の砦である生活保護基準を引き下げることは、以下の理由から、断じて容認できない。
(1)改正最低賃金法の趣旨、低年金者の生存権保障の観点からすれば、「逆転現象」は、最低賃金と年金額の引き上げによって解消すべきである。
(2)生活保護基準は、課税最低限、各種福祉施策に連動するナショナルミニマムとしての重要な機能を担っており、その引き下げは市民生活全般に多大な影響を与えるから、長引く不況に東日本大震災が追い打ちをかけ、生活困窮者が増大する情勢の中、安易に行うべきではない。
(3)捕捉率が20%台しかないもとでは、低所得者の消費水準と比較する手法は、際限ない貧困スパイラル(ナショナルミニマムの底下げ)に陥る。
(4)今般の引き下げ論議は2007年末に政治的に否定された動きの蒸し返しであり、民主党は当時、生活保護基準の引下げに反対した経過や、母子加算復活時の訴訟原告との大臣合意を尊重するべきである。
(5)ナショナルミニマム研究会中間報告(2010年6月)で示された、最低生活費は「社会保障制度等の共通の基準」であること、また生活保護制度は「財政事情等によって保護の認定・運用にばらつきが生じないようにすべき」という認識を前提に検討を進めるべきである。
(6)生活保護基準の検討は、利用者の参加を保障したうえで、健康で文化的な最低生活の需要を測定する方法によって行うべきである。
第2 意見の理由
1 はじめに ~ 生活保護基準部会設置の経過と厚労省の意図 ~
本年4月19日、社会保障審議会に生活保護基準部会が設置された。部会で配布された資料によれば、今後月1回程度、部会を開催し、「今秋を目途に平成21年度全国消費実態調査の特別集計等のデータがまとまり次第、生活扶助基準と一般低所得世帯の消費実態との均衡が適切に図られているかいなかの検証を開始する」としている。
新聞報道によれば、厚生労働省は、年金・最低賃金との「逆転現象」を解消するため生活保護水準を見直し、1950年以来の制度の抜本改革を図るとともに、保護費の給付総額削減を目指すという(2011年4月20日「毎日新聞」)。さらに露骨に「厚生労働省は社会保障と税の一体改革に関連して、生活保護費を減額する方向で検討に入った」、年金や最低賃金との「逆転現象」を「『このまま放置すれば年金保険料を払い、働いている人たちの意欲をそぎかねない』との批判があるため、制度の改善に乗り出す必要があると判断した」という報道もなされた(2011年4月26日「日経新聞」)。
部会に出席した岡本厚生労働政務官も、「生活保護受給者数が200万人を超える勢いを見せる中、戦後直後と同程度の受給者数になっているという現状、また、生活保護の元手となります税金を納めていただいている納税者の皆様方から見てもご理解いただける制度にしていかなければならない」、「これから増税の議論が出てくるときに耐えられない制度であってはいけない」と述べ、納税者と生活保護受給者を対置させ、増税を納得させるために生活保護基準を引き下げるという意図を露わにしている。
そして、5月12日に明らかになった「税と社会保障の一体改革」に関する厚生労働省意見(「社会保障制度の改革の方向性と具体策」)は、「生活保護制度の見直し」を明言し、生活保護基準については、「低所得の勤労世帯、満額の基礎年金水準等との整合性に関する指摘や、自立の助長を損なうことのない水準、体系になっているかなど様々な意見があることも踏まえ、客観的データに基づく専門的な検証を行う」としている。
このような状況を踏まえると、今回、基準部会を設置した厚生労働省の意図は、単なる5年に1回の定期的検証の枠を超え、増税の布石として、最低賃金と年金額との「逆転現象」を解消するために生活保護基準を引き下げる点にあることが明確である。
しかし、最低賃金額や年金額自体の低さを問題にせずに、市民生活の最後の砦である生活保護基準を引き下げることは、2007年に改正された最低賃金法の趣旨に反するとともに、同じく2007年に生活保護費の引下げを企図した厚労省の目論見が世論に論破され、引下げにストップがかかった経過をまったく無視する暴挙である。
2 最低賃金・年金と生活保護基準の「逆転現象」は、前者の引き上げによって解消すべきである。
(1)「逆転現象」の意味
生活保護基準と年金、最低賃金の「逆転現象」をいう場合、第1に、就労によって得られる最低賃金は、就労を前提にしない生活保護費を上回るべきであること、第2に、拠出を前提にする年金額は、無拠出である生活保護費を上回るべきであることの2点が前提とされている。
(2)最低賃金と生活保護基準
このうち、最低賃金との関係は、2007年11月の最低賃金法の改正によって決着済みの問題である。改正最低賃金法9条3項が「労働者の生計費を考慮するに当たっては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする」とされた趣旨について、政府は、「最低賃金額が生活保護基準額を上回るよう引き上げていく」旨を繰り返し答弁している(例えば、2007年6月6日衆議院厚生労働委員会における、柳澤厚生労働大臣〔当時〕の「最低賃金は生活保護を下回らない水準にするという趣旨」という答弁など)。この考え方にしたがい、2008年以降最低賃金の引上げが、不十分ではあるが進められている。
この経過からすると、最低賃金と生活保護基準の逆転現象は、最低賃金の一層の引き上げによって解消されるべきであって、生活保護基準を引き下げるということにはなり得ない。
(3)年金と生活保護基準
これまで厚生労働省は、老齢基礎年金は「老後生活の基礎的部分」を保障するものであって最低生活を保障するものではないと繰り返し説明してきている(厚生労働省自身、第1回部会の配布資料の中で「生活保護と公的年金の役割が異なることから、生活保護の基準と公的年金の給付額は単純に比較できるものではないことに留意」と述べている。)。それが、ここに来て、手のひらを返したように、「年金と生活保護基準の逆転現象」を問題にするというのは、一貫しないご都合主義というほかない。
そもそも、現行年金額の低さを考えれば、生活保護基準の引下げによって、逆転現象を解消することは到底困難である。現在、基礎年金額は40年間保険料を納付した満額受給者でも月額65,741円であるが、基礎年金のみか旧国民年金受給者計876万人の実際の受給年金月額は48,507円という低さである(平成20年度厚生年金保険・国民年金事業の概況)。このように年金だけでは生活できない層が広範に存在するため、生活保護利用者のうち高齢者世帯は44.3%を占めている。このような状況のもとで生活保護基準を引き下げれば、生活保護から新たに排除される高齢者が大量に発生することは確実である。
すでに、高齢者の生活保護費は、2006年の老齢加算全廃により、加算満額時に比して約2割削られ、現在75,770円(1級地の1〔大都市部〕、生活扶助)である。このため老齢加算の復活を求める生存権裁判が最高裁や各地で争われている。
年金との逆転を言うならば、受給年金額をせめて高齢者の生活扶助費を上回る額にすべきである。
(4)小括
以上のように、改正最低賃金法の趣旨と低年金者の生存権保障の観点からすれば、最低賃金・年金と生活保護基準の逆転現象は、最低賃金・年金を引き上げることによって解消すべきであって、生活保護基準を下げるという選択はあり得ない。
3 ナショナルミニマムとしての生活保護基準の引き下げは、市民生活全般に大きな打撃を与える
生活保護基準を引き下げるべきではないのは、生活保護基準が現在でもぎりぎりの水準であることに加え、生活保護基準が各種の低所得施策や最低賃金、課税最低限のボトム(底)として機能していることも大きな理由である。
(1)保護利用者への影響
生活保護基準が引き下げられると、当然のことながら、現在生活保護を利用している人々に直接の影響がある。
まず、現行基準と引き下げ後の基準の間の収入のある層は、これまで受給できていた生活保護を打ち切られることになる。また、引き下げ後の基準以下の収入しかない層については、保護は継続されるものの支給される保護費の額が減額されることとなる。
これは保護費を操作することによる政策的な「貧困隠し」以外の何物でもない。
(2)低所得者を中心とする市民生活全般への影響
生活保護基準は、我が国において、「健康で文化的な最低限度の生活」水準を画する「ナショナルミニマム」として、さまざま諸制度に連動している。したがって、生活保護基準が引き下げられると、現に生活保護を利用している層だけでなく、低所得者を中心とする市民生活全般に多大な影響がある。
まず、先に見たとおり、生活保護基準が引き下げられると、最低賃金の引き上げ目標額が下がることになり、引き上げのスピードも落ちる可能性が高い。
また、地方税(住民税)の非課税基準額は、夫婦子2人世帯で、生活保護基準を下回らないように設定することとされているため(地方税法295条3項、施行令第47条の3(2)号、施行規則第9条の4)、生活保護基準が下がると地方税の非課税基準も連動して下がることになる。地方税非課税基準額が下ると、これまでは地方税非課税であった世帯が課税世帯になったり、増税となる世帯が大量に発生する。
地方税非課税基準が下がると、地方税非課税世帯を対象としている各種福祉施策や、地方税の課税額によって利用料や負担金を決めている国民健康保険料や保育料、介護保険料などが上昇し、高額医療費の負担(非課税だと一部負担金限度額が低くて済む)にも影響する。
さらに、各種の低所得者向け施策(現金給付、貸付、各種減免制度など)には、たとえば、「生活保護基準の1.3倍」といった利用条件が設定されているものが広範に存在しているが、生活保護基準が引き下げられると、こうした諸施策を利用できなくなる層が大量に発生する。
(3)小括
このように、生活保護基準が引き下げられると、最低賃金より若干上のアルバイト、パートで賃金を得ている層の賃金や、地方税の課税額、国民健康保険料、保育料、介護保険料、医療費等ごく普通の市民が利用している福祉サービスの利用料、一部負担金などへ広く影響する。
すなわち、「生活保護水準は全ての最低生活保障を下支えするために、安易に水準を引き下げることができない岩盤であり、最低賃金、最低保障年金などはその上に位置するように設計されるべき」なのである(駒村康平編『最低所得保障』岩波書店、228頁)。
ナショナルミニマムとしての生活保護基準の引き下げは、低所得者を中心とする市民生活全般に多大な影響があることから、不況が続く今日、安易に行うべきではない。
とりわけ、本年3月11日に起こった東日本大震災による多数の被災者や、地震を契機とした企業の倒産などによって、生活保護利用者の増加は避けられないと思われる。こうした時期に、保護から排除される人をさらに増やす生活保護基準の引き下げを行うことは、肝心なときに、最後のセーフティネットの機能不全をもたらし、重大な政策失敗を招くことになると考える。
4 捕捉率20%台のもとで、低所得世帯の消費水準に合わせることは貧困スパイラルを招く
厚生労働省は、基準部会の第1回において、第1・十分位(所得の下位10%)という最も低所得の世帯の平成16年の消費実態よりも生活保護基準額の方が高いという資料を提出し、「今秋を目途に平成21年度全国消費実態調査の特別集計等のデータがまとまり次第・・検証を開始する。」としている。平成21年度の消費実態調査においても、第1・十分位の消費実態よりも生活保護基準の方が高いというデータが出ると予想されることからすると、国は、このデータをテコに生活保護基準引き下げの根拠にしようとしていることが明らかである。
しかし、生活保護を利用する資格のある人のうち現に利用できる人の割合(捕捉率)が20%台(2010年4月の厚労省の資料でも34%〔国民生活基礎調査〕)といわれる中では、低所得層には生活保護基準以下での生活を余儀なくされている人が多く含まれている。そういう層と比較すると保護基準は際限なく下っていき、貧困スパイラル(ナショナルミニマムの底下げの悪循環)に陥っていく。低所得世帯の消費実態と比較するのであれば、ドイツではそのようにしているように、生活保護を現に利用している層や生活保護基準以下の生活を余儀なくされている層についてはデータから除外して行うことが当然である。
我が国は、先進諸国の中でも異常な低捕捉率の状況であり、まずは生活保護利用資格のある世帯には生活保護を100%適用することを目指して、生活保護制度の広報周知、厳しい資産要件の緩和、根強い制限的運用の撤廃等を行なわなければならない。
その上で、生活保護基準は、生活保護法8条にあるように、本来、需要をもとに、健康で文化的な最低限度の生活を測定する方法によって設定すべきである。
5 2007年末に政治的に否定された手法の蒸し返しである~民主党はかつての主張を貫け~
(1) 2007年末、生活保護基準の引き下げは政治的に否定された
国は、2007年10月、国は生活保護基準引下げを狙って、社会・援護局長の下に有識者による生活扶助基準に関する検討会を設置した。
このような動きに対して、事の重大性から市民各層から激しい批判の声が沸き起こった。日弁連、連合、中央労福協などの有力団体や、現在の政権党である民主党も安易な生活保護基準の引き下げに強く反対した。今回の基準部会の会長代理である岩田正美氏も、同年12月に市民団体が開催した「生活保護基準に関するもう一つの検討会」に、生活保護基準引下げの影響が大きいことを懸念し、低所得層との比較という手法に疑問を呈するメッセージを寄せた。また、2007年の生活扶助基準検討会の座長であった樋口美雄氏を含む委員全員が、報告書提出後に「『生活扶助基準に関する検討会報告書』が正しく読まれるために」という連名の意見書を発表し、樋口氏が「引下げは慎重に」と意見を述べるという異例の展開となった。
そして、同年12月、次年度予算編成のギリギリのタイミングで、当時与党の一角を担っていた公明党が自民党に強く働きかけたことによって、生活保護基準引き下げが見送られることとなった。こうして、厚生労働省の生活保護基準引下げの目論見は、理論的にも、社会的・政治的にも完全に否定されたのである。
(2)2009年末、「国民の生活が第一」を掲げた民主党は母子加算を復活させた
さらに、総選挙を控えた2009年6月、民主党の鳩山党首(当時)は、「アニメの殿堂のお金があれば、なんで生活保護の母子加算に戻してあげないんですか。そういう政治をやろうじゃないですか」という言葉で、麻生首相(当時)との党首討論を締めくくった。民主党は、「国民の生活が第一」をキャッチフレーズに総選挙を戦い、マニフェストにも母子加算の復活を明示した。
そして、政権交代後の母子加算の復活に当たり、長妻厚生労働大臣(当時)は、母子加算減額廃止処分を争っていた訴訟の原告・弁護団との間で交わした合意書において、「国は、母子家庭の窮状にかんがみ、子どもの貧困解消のために復活した母子加算については、今後十分な調査を経ることなく、あるいは合理的な根拠もないままに廃止しないことを約束する」と明記した。この合意内容には、2007年に市民が指摘した、生活保護基準引き下げの影響力の大きさを考慮し、低所得層との比較や、最低賃金額・年金額との逆転現象を生活保護基準の引き下げによって解消するという手法に問題があるということが含意されていると考えるべきである。
(3)小括
以上のとおり、今般の生活保護基準引き下げの動きは、2007年末に低所得層との均衡を理由に目論まれたものの、国民世論の強い反発の中で、政治的にも社会的にも理論的にも完全に否定された動きの「蒸し返し」である。民主党は、当時、引き下げに強く反対し、政権交代後には母子加算を復活させた主張を貫き、母子加算復活訴訟の原告団との間で交わした合意内容を尊重するべきである。
6 ナショナルミニマム研究会の中間報告(2010年6月)を十分踏まえるべきである
2009年12月、日本におけるナショナルミニマムを検討するために厚生労働大臣の下にナショナルミニマム研究会が設置され、2010年6月に中間報告がまとめられた。
同報告では、ナショナルミニマムは「生活保護だけでなくあらゆる社会保障制度や雇用政策の設計の根幹となるべきもの」であり、「最低生活費はその典型である」という認識が示された。また最低生活費は「(最低保障)年金水準の設定や、最低賃金の設定にも活用するなど、「社会保障制度等の共通の基準」であるという重要な指摘がなされている。そうして、生活保護制度は「財政事情等によって保護の認定・運用にばらつきが生じないようにすべき」という財政と生活保護について明確な考え方が示されている。
最低生活費(生活保護基準)を検討するに当たっては、こうしたナショナルミニマム検討会の指摘を十分に踏まえることは当然である。
7 生活保護基準の検討にあたっては、利用者の参加を保障すべきである
今回の基準部会は、学識経験者だけがメンバーとなっている。
しかし、「私たち抜きに私たちのことを決めるな」をキャッチフレーズに、利用者本位の福祉制度の構築が強調される今日、生活保護制度の検討にあたっても、その利用者のニーズ・意向を十分に反映させるべきである。
そのため、生活保護の利用者を部会メンバーに入れるべきである。また、現行の生活保護費での暮らしでは、何が足りて何が足りないかを、利用者から直接意見を聞き、最低生活費を検証すべきである。審議手続でも同様であり、利用者への調査やヒアリングを実施し、検証すべきである。そして、我が国における「健康で文化的な生活」とは何か、その需要を測定する中で、あるべき生活保護基準を探究していくことが求められている。
以 上

2011年7月6日
市民生活の岩盤である生活保護基準の引下げに
反対する意見書
~低きに合わせるのは本末転倒!~
第1 意見の趣旨
市民生活の最後の砦である生活保護基準を引き下げることは、以下の理由から、断じて容認できない。
(1)改正最低賃金法の趣旨、低年金者の生存権保障の観点からすれば、「逆転現象」は、最低賃金と年金額の引き上げによって解消すべきである。
(2)生活保護基準は、課税最低限、各種福祉施策に連動するナショナルミニマムとしての重要な機能を担っており、その引き下げは市民生活全般に多大な影響を与えるから、長引く不況に東日本大震災が追い打ちをかけ、生活困窮者が増大する情勢の中、安易に行うべきではない。
(3)捕捉率が20%台しかないもとでは、低所得者の消費水準と比較する手法は、際限ない貧困スパイラル(ナショナルミニマムの底下げ)に陥る。
(4)今般の引き下げ論議は2007年末に政治的に否定された動きの蒸し返しであり、民主党は当時、生活保護基準の引下げに反対した経過や、母子加算復活時の訴訟原告との大臣合意を尊重するべきである。
(5)ナショナルミニマム研究会中間報告(2010年6月)で示された、最低生活費は「社会保障制度等の共通の基準」であること、また生活保護制度は「財政事情等によって保護の認定・運用にばらつきが生じないようにすべき」という認識を前提に検討を進めるべきである。
(6)生活保護基準の検討は、利用者の参加を保障したうえで、健康で文化的な最低生活の需要を測定する方法によって行うべきである。
第2 意見の理由
1 はじめに ~ 生活保護基準部会設置の経過と厚労省の意図 ~
本年4月19日、社会保障審議会に生活保護基準部会が設置された。部会で配布された資料によれば、今後月1回程度、部会を開催し、「今秋を目途に平成21年度全国消費実態調査の特別集計等のデータがまとまり次第、生活扶助基準と一般低所得世帯の消費実態との均衡が適切に図られているかいなかの検証を開始する」としている。
新聞報道によれば、厚生労働省は、年金・最低賃金との「逆転現象」を解消するため生活保護水準を見直し、1950年以来の制度の抜本改革を図るとともに、保護費の給付総額削減を目指すという(2011年4月20日「毎日新聞」)。さらに露骨に「厚生労働省は社会保障と税の一体改革に関連して、生活保護費を減額する方向で検討に入った」、年金や最低賃金との「逆転現象」を「『このまま放置すれば年金保険料を払い、働いている人たちの意欲をそぎかねない』との批判があるため、制度の改善に乗り出す必要があると判断した」という報道もなされた(2011年4月26日「日経新聞」)。
部会に出席した岡本厚生労働政務官も、「生活保護受給者数が200万人を超える勢いを見せる中、戦後直後と同程度の受給者数になっているという現状、また、生活保護の元手となります税金を納めていただいている納税者の皆様方から見てもご理解いただける制度にしていかなければならない」、「これから増税の議論が出てくるときに耐えられない制度であってはいけない」と述べ、納税者と生活保護受給者を対置させ、増税を納得させるために生活保護基準を引き下げるという意図を露わにしている。
そして、5月12日に明らかになった「税と社会保障の一体改革」に関する厚生労働省意見(「社会保障制度の改革の方向性と具体策」)は、「生活保護制度の見直し」を明言し、生活保護基準については、「低所得の勤労世帯、満額の基礎年金水準等との整合性に関する指摘や、自立の助長を損なうことのない水準、体系になっているかなど様々な意見があることも踏まえ、客観的データに基づく専門的な検証を行う」としている。
このような状況を踏まえると、今回、基準部会を設置した厚生労働省の意図は、単なる5年に1回の定期的検証の枠を超え、増税の布石として、最低賃金と年金額との「逆転現象」を解消するために生活保護基準を引き下げる点にあることが明確である。
しかし、最低賃金額や年金額自体の低さを問題にせずに、市民生活の最後の砦である生活保護基準を引き下げることは、2007年に改正された最低賃金法の趣旨に反するとともに、同じく2007年に生活保護費の引下げを企図した厚労省の目論見が世論に論破され、引下げにストップがかかった経過をまったく無視する暴挙である。
2 最低賃金・年金と生活保護基準の「逆転現象」は、前者の引き上げによって解消すべきである。
(1)「逆転現象」の意味
生活保護基準と年金、最低賃金の「逆転現象」をいう場合、第1に、就労によって得られる最低賃金は、就労を前提にしない生活保護費を上回るべきであること、第2に、拠出を前提にする年金額は、無拠出である生活保護費を上回るべきであることの2点が前提とされている。
(2)最低賃金と生活保護基準
このうち、最低賃金との関係は、2007年11月の最低賃金法の改正によって決着済みの問題である。改正最低賃金法9条3項が「労働者の生計費を考慮するに当たっては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする」とされた趣旨について、政府は、「最低賃金額が生活保護基準額を上回るよう引き上げていく」旨を繰り返し答弁している(例えば、2007年6月6日衆議院厚生労働委員会における、柳澤厚生労働大臣〔当時〕の「最低賃金は生活保護を下回らない水準にするという趣旨」という答弁など)。この考え方にしたがい、2008年以降最低賃金の引上げが、不十分ではあるが進められている。
この経過からすると、最低賃金と生活保護基準の逆転現象は、最低賃金の一層の引き上げによって解消されるべきであって、生活保護基準を引き下げるということにはなり得ない。
(3)年金と生活保護基準
これまで厚生労働省は、老齢基礎年金は「老後生活の基礎的部分」を保障するものであって最低生活を保障するものではないと繰り返し説明してきている(厚生労働省自身、第1回部会の配布資料の中で「生活保護と公的年金の役割が異なることから、生活保護の基準と公的年金の給付額は単純に比較できるものではないことに留意」と述べている。)。それが、ここに来て、手のひらを返したように、「年金と生活保護基準の逆転現象」を問題にするというのは、一貫しないご都合主義というほかない。
そもそも、現行年金額の低さを考えれば、生活保護基準の引下げによって、逆転現象を解消することは到底困難である。現在、基礎年金額は40年間保険料を納付した満額受給者でも月額65,741円であるが、基礎年金のみか旧国民年金受給者計876万人の実際の受給年金月額は48,507円という低さである(平成20年度厚生年金保険・国民年金事業の概況)。このように年金だけでは生活できない層が広範に存在するため、生活保護利用者のうち高齢者世帯は44.3%を占めている。このような状況のもとで生活保護基準を引き下げれば、生活保護から新たに排除される高齢者が大量に発生することは確実である。
すでに、高齢者の生活保護費は、2006年の老齢加算全廃により、加算満額時に比して約2割削られ、現在75,770円(1級地の1〔大都市部〕、生活扶助)である。このため老齢加算の復活を求める生存権裁判が最高裁や各地で争われている。
年金との逆転を言うならば、受給年金額をせめて高齢者の生活扶助費を上回る額にすべきである。
(4)小括
以上のように、改正最低賃金法の趣旨と低年金者の生存権保障の観点からすれば、最低賃金・年金と生活保護基準の逆転現象は、最低賃金・年金を引き上げることによって解消すべきであって、生活保護基準を下げるという選択はあり得ない。
3 ナショナルミニマムとしての生活保護基準の引き下げは、市民生活全般に大きな打撃を与える
生活保護基準を引き下げるべきではないのは、生活保護基準が現在でもぎりぎりの水準であることに加え、生活保護基準が各種の低所得施策や最低賃金、課税最低限のボトム(底)として機能していることも大きな理由である。
(1)保護利用者への影響
生活保護基準が引き下げられると、当然のことながら、現在生活保護を利用している人々に直接の影響がある。
まず、現行基準と引き下げ後の基準の間の収入のある層は、これまで受給できていた生活保護を打ち切られることになる。また、引き下げ後の基準以下の収入しかない層については、保護は継続されるものの支給される保護費の額が減額されることとなる。
これは保護費を操作することによる政策的な「貧困隠し」以外の何物でもない。
(2)低所得者を中心とする市民生活全般への影響
生活保護基準は、我が国において、「健康で文化的な最低限度の生活」水準を画する「ナショナルミニマム」として、さまざま諸制度に連動している。したがって、生活保護基準が引き下げられると、現に生活保護を利用している層だけでなく、低所得者を中心とする市民生活全般に多大な影響がある。
まず、先に見たとおり、生活保護基準が引き下げられると、最低賃金の引き上げ目標額が下がることになり、引き上げのスピードも落ちる可能性が高い。
また、地方税(住民税)の非課税基準額は、夫婦子2人世帯で、生活保護基準を下回らないように設定することとされているため(地方税法295条3項、施行令第47条の3(2)号、施行規則第9条の4)、生活保護基準が下がると地方税の非課税基準も連動して下がることになる。地方税非課税基準額が下ると、これまでは地方税非課税であった世帯が課税世帯になったり、増税となる世帯が大量に発生する。
地方税非課税基準が下がると、地方税非課税世帯を対象としている各種福祉施策や、地方税の課税額によって利用料や負担金を決めている国民健康保険料や保育料、介護保険料などが上昇し、高額医療費の負担(非課税だと一部負担金限度額が低くて済む)にも影響する。
さらに、各種の低所得者向け施策(現金給付、貸付、各種減免制度など)には、たとえば、「生活保護基準の1.3倍」といった利用条件が設定されているものが広範に存在しているが、生活保護基準が引き下げられると、こうした諸施策を利用できなくなる層が大量に発生する。
(3)小括
このように、生活保護基準が引き下げられると、最低賃金より若干上のアルバイト、パートで賃金を得ている層の賃金や、地方税の課税額、国民健康保険料、保育料、介護保険料、医療費等ごく普通の市民が利用している福祉サービスの利用料、一部負担金などへ広く影響する。
すなわち、「生活保護水準は全ての最低生活保障を下支えするために、安易に水準を引き下げることができない岩盤であり、最低賃金、最低保障年金などはその上に位置するように設計されるべき」なのである(駒村康平編『最低所得保障』岩波書店、228頁)。
ナショナルミニマムとしての生活保護基準の引き下げは、低所得者を中心とする市民生活全般に多大な影響があることから、不況が続く今日、安易に行うべきではない。
とりわけ、本年3月11日に起こった東日本大震災による多数の被災者や、地震を契機とした企業の倒産などによって、生活保護利用者の増加は避けられないと思われる。こうした時期に、保護から排除される人をさらに増やす生活保護基準の引き下げを行うことは、肝心なときに、最後のセーフティネットの機能不全をもたらし、重大な政策失敗を招くことになると考える。
4 捕捉率20%台のもとで、低所得世帯の消費水準に合わせることは貧困スパイラルを招く
厚生労働省は、基準部会の第1回において、第1・十分位(所得の下位10%)という最も低所得の世帯の平成16年の消費実態よりも生活保護基準額の方が高いという資料を提出し、「今秋を目途に平成21年度全国消費実態調査の特別集計等のデータがまとまり次第・・検証を開始する。」としている。平成21年度の消費実態調査においても、第1・十分位の消費実態よりも生活保護基準の方が高いというデータが出ると予想されることからすると、国は、このデータをテコに生活保護基準引き下げの根拠にしようとしていることが明らかである。
しかし、生活保護を利用する資格のある人のうち現に利用できる人の割合(捕捉率)が20%台(2010年4月の厚労省の資料でも34%〔国民生活基礎調査〕)といわれる中では、低所得層には生活保護基準以下での生活を余儀なくされている人が多く含まれている。そういう層と比較すると保護基準は際限なく下っていき、貧困スパイラル(ナショナルミニマムの底下げの悪循環)に陥っていく。低所得世帯の消費実態と比較するのであれば、ドイツではそのようにしているように、生活保護を現に利用している層や生活保護基準以下の生活を余儀なくされている層についてはデータから除外して行うことが当然である。
我が国は、先進諸国の中でも異常な低捕捉率の状況であり、まずは生活保護利用資格のある世帯には生活保護を100%適用することを目指して、生活保護制度の広報周知、厳しい資産要件の緩和、根強い制限的運用の撤廃等を行なわなければならない。
その上で、生活保護基準は、生活保護法8条にあるように、本来、需要をもとに、健康で文化的な最低限度の生活を測定する方法によって設定すべきである。
5 2007年末に政治的に否定された手法の蒸し返しである~民主党はかつての主張を貫け~
(1) 2007年末、生活保護基準の引き下げは政治的に否定された
国は、2007年10月、国は生活保護基準引下げを狙って、社会・援護局長の下に有識者による生活扶助基準に関する検討会を設置した。
このような動きに対して、事の重大性から市民各層から激しい批判の声が沸き起こった。日弁連、連合、中央労福協などの有力団体や、現在の政権党である民主党も安易な生活保護基準の引き下げに強く反対した。今回の基準部会の会長代理である岩田正美氏も、同年12月に市民団体が開催した「生活保護基準に関するもう一つの検討会」に、生活保護基準引下げの影響が大きいことを懸念し、低所得層との比較という手法に疑問を呈するメッセージを寄せた。また、2007年の生活扶助基準検討会の座長であった樋口美雄氏を含む委員全員が、報告書提出後に「『生活扶助基準に関する検討会報告書』が正しく読まれるために」という連名の意見書を発表し、樋口氏が「引下げは慎重に」と意見を述べるという異例の展開となった。
そして、同年12月、次年度予算編成のギリギリのタイミングで、当時与党の一角を担っていた公明党が自民党に強く働きかけたことによって、生活保護基準引き下げが見送られることとなった。こうして、厚生労働省の生活保護基準引下げの目論見は、理論的にも、社会的・政治的にも完全に否定されたのである。
(2)2009年末、「国民の生活が第一」を掲げた民主党は母子加算を復活させた
さらに、総選挙を控えた2009年6月、民主党の鳩山党首(当時)は、「アニメの殿堂のお金があれば、なんで生活保護の母子加算に戻してあげないんですか。そういう政治をやろうじゃないですか」という言葉で、麻生首相(当時)との党首討論を締めくくった。民主党は、「国民の生活が第一」をキャッチフレーズに総選挙を戦い、マニフェストにも母子加算の復活を明示した。
そして、政権交代後の母子加算の復活に当たり、長妻厚生労働大臣(当時)は、母子加算減額廃止処分を争っていた訴訟の原告・弁護団との間で交わした合意書において、「国は、母子家庭の窮状にかんがみ、子どもの貧困解消のために復活した母子加算については、今後十分な調査を経ることなく、あるいは合理的な根拠もないままに廃止しないことを約束する」と明記した。この合意内容には、2007年に市民が指摘した、生活保護基準引き下げの影響力の大きさを考慮し、低所得層との比較や、最低賃金額・年金額との逆転現象を生活保護基準の引き下げによって解消するという手法に問題があるということが含意されていると考えるべきである。
(3)小括
以上のとおり、今般の生活保護基準引き下げの動きは、2007年末に低所得層との均衡を理由に目論まれたものの、国民世論の強い反発の中で、政治的にも社会的にも理論的にも完全に否定された動きの「蒸し返し」である。民主党は、当時、引き下げに強く反対し、政権交代後には母子加算を復活させた主張を貫き、母子加算復活訴訟の原告団との間で交わした合意内容を尊重するべきである。
6 ナショナルミニマム研究会の中間報告(2010年6月)を十分踏まえるべきである
2009年12月、日本におけるナショナルミニマムを検討するために厚生労働大臣の下にナショナルミニマム研究会が設置され、2010年6月に中間報告がまとめられた。
同報告では、ナショナルミニマムは「生活保護だけでなくあらゆる社会保障制度や雇用政策の設計の根幹となるべきもの」であり、「最低生活費はその典型である」という認識が示された。また最低生活費は「(最低保障)年金水準の設定や、最低賃金の設定にも活用するなど、「社会保障制度等の共通の基準」であるという重要な指摘がなされている。そうして、生活保護制度は「財政事情等によって保護の認定・運用にばらつきが生じないようにすべき」という財政と生活保護について明確な考え方が示されている。
最低生活費(生活保護基準)を検討するに当たっては、こうしたナショナルミニマム検討会の指摘を十分に踏まえることは当然である。
7 生活保護基準の検討にあたっては、利用者の参加を保障すべきである
今回の基準部会は、学識経験者だけがメンバーとなっている。
しかし、「私たち抜きに私たちのことを決めるな」をキャッチフレーズに、利用者本位の福祉制度の構築が強調される今日、生活保護制度の検討にあたっても、その利用者のニーズ・意向を十分に反映させるべきである。
そのため、生活保護の利用者を部会メンバーに入れるべきである。また、現行の生活保護費での暮らしでは、何が足りて何が足りないかを、利用者から直接意見を聞き、最低生活費を検証すべきである。審議手続でも同様であり、利用者への調査やヒアリングを実施し、検証すべきである。そして、我が国における「健康で文化的な生活」とは何か、その需要を測定する中で、あるべき生活保護基準を探究していくことが求められている。
以 上