コロナ禍が広がる中、生活保護を必要とする方が増えていますが、親族に対する扶養照会が、その利用をためらう大きな原因となっています。私たちは、速やかに厚労省通知を改正して不要で有害な扶養照会を止めるよう、具体的な改正案も示して要望しました。
厚生労働大臣 田村憲久 殿
第1 要望の趣旨
1 可及的速やかに、厚生労働省通知を改正し、生活保護の扶養照会を実施するのは、「申請者が事前に承諾し、かつ、明らかに扶養義務の履行が期待できる場合に限る」旨の通知を発出してください。
2 生活保護の捕捉率を上げるため、生活保護の利用を阻害している要因や制度利用に伴う心理的な負担を調べる調査を実施してください。
第2 要望の理由
コロナ禍の経済的影響で、国内の貧困が急拡大しています。
私たち生活困窮者支援に関わる諸団体は、昨年春以降、コロナの影響で生活に困窮している方々への相談支援活動を強化してきました。しかし、相談現場では、生活に困窮しているにもかかわらず、「生活保護だけは受けたくない」と忌避感を示される方が非常に多く、支援者が対応に苦慮しています。すでに住まいを失い、路上生活となり、所持金が数十円、数百円という極限の貧困状態になっていても、生活保護の申請をためらう人は少なくありません。
そこで、一般社団法人つくろい東京ファンドでは、生活保護制度の利用を妨げている要因を探り、制度を利用しやすくするための提言につなげるため、年末年始の生活困窮者向け相談会に来られた方々を対象に生活保護利用に関するアンケート調査を実施し、165人の方から回答を得ることができました。
このうち、現在、生活保護を利用していない方128人に、生活保護を利用していない理由を聞いたところ、最も多かった回答は「家族に知られるのが嫌だから」(34.4%)という理由でした。20~50代に限定すると、77人中33人(42.9%)が「家族に知られるのが嫌だから」という理由を選んでいました。
生活保護の制度や運用がどのように変わったら利用したいかという質問に対しても、「親族に知られることがないなら利用したい」という選択肢を選んだ方が約4割(39.8%)に上りました。
また、生活保護を利用した経験のある人では、59人中32人(54.2%)が扶養照会に「抵抗感があった」と回答していました。
これらの結果は、扶養照会により親族に連絡が行くことが、生活困窮者が生活保護を利用する上での最大の阻害要因となっていることを示しています。
厚生労働省は、保護課長通知問第5の2において、扶養義務者が被保護者、施設入所者であったり、「生活歴等から特別な事情があり明らかに扶養ができない者」であったり、DV等の事情があり、「扶養義務者に対し扶養を求めることにより明らかに要保護者の自立を阻害することになると認められる者であって、明らかに扶養義務の履行が期待できない場合」には、扶養義務者に対する直接照会をしなくても良いとしています。そして、「生活保護問答集について」(平成 21 年3月 31 日付厚生労働省社会・援護局保護課長事務連絡。以下、「生活保護問答集」という。)問5-1において、長期入院患者、主たる生計維持者ではない非稼働者(家庭の主婦など)、未成年者、概ね70歳以上の高齢者、20年間音信不通である者も同様に扱ってよいとしています。
しかし、次官通知第5が、「扶養義務者に扶養及びその他の支援を求めるよう、要保護者を指導すること」等とする非常に問題のある表現であるうえ(※1)、保護課長通知問第5の2の記述も、上記のような場合に福祉事務所が扶養照会を実施することを明確に禁止するものではないため、扶養義務者のうち扶養照会をする割合は、32%(東京都新宿区)から92%(岐阜県各務原市、浜松市中区)まで自治体によって対応に相当のバラつきがあります(※2)。「明らかに要保護者の自立を阻害することになると認められる者」の解釈をめぐっても、同様の問題があります。
菅義偉首相は、本年1月20日の衆議院本会議及び同月22日の参議院本会議での質疑において、扶養義務者の扶養が保護に優先して行われることは、生活保護制度の基本原理であり、扶養照会は必要な手続きであるという見解を示しています。
しかし、扶養が保護に「優先」する(生活保護法4条2項)とは、「単に事実上扶養が行われたときにこれを被扶助者の収入として取り扱う」という意味に過ぎず(※3)、法律上扶養照会が不可欠とされているわけではありません。
また、民法上の扶養義務は、扶養義務者が負うものであって、要扶養者が持つのは、処分や譲渡ができない一身専属権としての「扶養請求権」です。そして、扶養請求権は、要扶養者が特定の関係にある扶養義務者に扶養の請求をした時に初めて発生すること(判例・通説)からしても、扶養を求めるかどうかは本来的に要扶養者の自由です。
そして、現行の扶養照会は、厚生労働省通知(社会・援護局長通知第5の2、前述の課長通知問第5の2)で定められているだけであり、その範囲や方法は、これらの通知を改正することで簡単に変えられます。具体的には、別添の「扶養照会に関する実施要領等の改正案」のとおり、「明らかに扶養義務の履行が期待できない場合」には扶養照会をしなくてもよいとする上記課長通知問第5の2の原則と例外を逆転させ、「申請者が事前に承諾し、かつ、明らかに扶養義務の履行が期待できる場合」に限り扶養照会をする旨改正すれば済むのです。
また、扶養照会をめぐっては、福祉事務所の現場サイドからも「現在の社会状況にそぐわず、意味がないのではないか」、「親族の調査に関わる業務の負担が大きい」という声があがっています。
2017年の厚労省調査でも、年換算で46万件に及ぶ保護申請時の扶養照会により金銭的な扶養が行われることになった保護開始世帯の割合は、わずか1.45%にとどまります(※4)。東京都足立区では2019年度の生活保護新規申請件数は2275件でしたが、扶養照会により何らかの援助がなされたのは7件(0.3%)にとどまったことが判明しています。荒川区では、2018年度に539件、2019年度に409件の保護開始件数がありましたが、扶養照会により何らかの援助につながった件数は両年とも0件でした。
そもそも、諸外国(フランス、スウェーデン、イギリス、アメリカ等)では、「夫婦」と「未成熟の子に対する父母」に限って扶養義務を認めるのが一般的です。これに直系血族(祖父母、父母、子、孫)や兄弟姉妹まで加える日本民法の扶養義務の広さは極めて特異であることから(※5)、少なくとも兄弟姉妹については扶養義務を廃止すべきとする学説が通説です(※6)。
家庭裁判所の実務を見ても、1975年には3025件あった扶養調停の新受事件数は、2019年には490件へと大きく減っています(※7)。特に兄弟姉妹を要扶養者とする扶養事件(調停・審判)は、統計が公表されていた1976年から1997年の間でも、わずか1~2%に過ぎません(※8)。
このように、わが国の現実社会では親族扶養は形骸化しているにもかかわらず、とりわけ親族に経済的に頼れない方が多い生活保護の適用場面においてのみ親族扶養を求めるのは、生活困窮者に対する理不尽なイジメのようなものです。
コロナ禍で生活に困窮している人たちが増加している状況を鑑み、まず「1」のように扶養照会の運用を変更した上、今後の制度のあり方を検討するため、「2」の調査を実施してください。
※1 「要保護者」に対して生活保護法27条の指導指示をすることはできず、後述の通り、扶養請求権の行使は本来的に本人の自由である。
※2 令和元年度厚生労働省監査資料から
※3 小山進次郎「改訂・増補 生活保護法の解釋と運用」119頁
※4 2017年8月に実施した2016年7月の保護開始世帯に関する厚労省調査。指定都市・中核市のみの先行集計では2.3%だったが(2018年1月19日社会・援護局「全国厚生労働関係部局長会議資料」35~38頁)、宮本徹衆議院議員事務所に対する2021年2月4日付回答で上記数値が判明
※5 生活保護問題対策全国会議編「これがホントの生活保護改革 『生活保護法』から『生活保障法』へ」(明石書店)47頁
※6 近畿弁護士会連合会編「生活保護と扶養義務」(民事法研究会)16~20頁
※7 司法統計年報第2表「家事審判・調停事件の事件別新受件数―全家庭裁判所」
※8 前掲注6・47~51頁
要望書PDF版
扶養照会に関する実施要領等の改正案PDF版
【資料】
令和3年2月4日付厚生労働省の回答文書PDF版
自治体別扶養照会割合(グラフ)
家庭裁判所における扶養関係事件数の推移と内訳 PDF版
家庭裁判所における扶養関係事件数の推移(グラフ) PDF版
2021年2月8日
厚生労働大臣 田村憲久 殿
一般社団法人つくろい東京ファンド
生活保護問題対策全国会議
生活保護問題対策全国会議
生活保護の扶養照会運用に関する要望書
第1 要望の趣旨
1 可及的速やかに、厚生労働省通知を改正し、生活保護の扶養照会を実施するのは、「申請者が事前に承諾し、かつ、明らかに扶養義務の履行が期待できる場合に限る」旨の通知を発出してください。
2 生活保護の捕捉率を上げるため、生活保護の利用を阻害している要因や制度利用に伴う心理的な負担を調べる調査を実施してください。
第2 要望の理由
コロナ禍の経済的影響で、国内の貧困が急拡大しています。
私たち生活困窮者支援に関わる諸団体は、昨年春以降、コロナの影響で生活に困窮している方々への相談支援活動を強化してきました。しかし、相談現場では、生活に困窮しているにもかかわらず、「生活保護だけは受けたくない」と忌避感を示される方が非常に多く、支援者が対応に苦慮しています。すでに住まいを失い、路上生活となり、所持金が数十円、数百円という極限の貧困状態になっていても、生活保護の申請をためらう人は少なくありません。
そこで、一般社団法人つくろい東京ファンドでは、生活保護制度の利用を妨げている要因を探り、制度を利用しやすくするための提言につなげるため、年末年始の生活困窮者向け相談会に来られた方々を対象に生活保護利用に関するアンケート調査を実施し、165人の方から回答を得ることができました。
このうち、現在、生活保護を利用していない方128人に、生活保護を利用していない理由を聞いたところ、最も多かった回答は「家族に知られるのが嫌だから」(34.4%)という理由でした。20~50代に限定すると、77人中33人(42.9%)が「家族に知られるのが嫌だから」という理由を選んでいました。
生活保護の制度や運用がどのように変わったら利用したいかという質問に対しても、「親族に知られることがないなら利用したい」という選択肢を選んだ方が約4割(39.8%)に上りました。
また、生活保護を利用した経験のある人では、59人中32人(54.2%)が扶養照会に「抵抗感があった」と回答していました。
これらの結果は、扶養照会により親族に連絡が行くことが、生活困窮者が生活保護を利用する上での最大の阻害要因となっていることを示しています。
厚生労働省は、保護課長通知問第5の2において、扶養義務者が被保護者、施設入所者であったり、「生活歴等から特別な事情があり明らかに扶養ができない者」であったり、DV等の事情があり、「扶養義務者に対し扶養を求めることにより明らかに要保護者の自立を阻害することになると認められる者であって、明らかに扶養義務の履行が期待できない場合」には、扶養義務者に対する直接照会をしなくても良いとしています。そして、「生活保護問答集について」(平成 21 年3月 31 日付厚生労働省社会・援護局保護課長事務連絡。以下、「生活保護問答集」という。)問5-1において、長期入院患者、主たる生計維持者ではない非稼働者(家庭の主婦など)、未成年者、概ね70歳以上の高齢者、20年間音信不通である者も同様に扱ってよいとしています。
しかし、次官通知第5が、「扶養義務者に扶養及びその他の支援を求めるよう、要保護者を指導すること」等とする非常に問題のある表現であるうえ(※1)、保護課長通知問第5の2の記述も、上記のような場合に福祉事務所が扶養照会を実施することを明確に禁止するものではないため、扶養義務者のうち扶養照会をする割合は、32%(東京都新宿区)から92%(岐阜県各務原市、浜松市中区)まで自治体によって対応に相当のバラつきがあります(※2)。「明らかに要保護者の自立を阻害することになると認められる者」の解釈をめぐっても、同様の問題があります。
菅義偉首相は、本年1月20日の衆議院本会議及び同月22日の参議院本会議での質疑において、扶養義務者の扶養が保護に優先して行われることは、生活保護制度の基本原理であり、扶養照会は必要な手続きであるという見解を示しています。
しかし、扶養が保護に「優先」する(生活保護法4条2項)とは、「単に事実上扶養が行われたときにこれを被扶助者の収入として取り扱う」という意味に過ぎず(※3)、法律上扶養照会が不可欠とされているわけではありません。
また、民法上の扶養義務は、扶養義務者が負うものであって、要扶養者が持つのは、処分や譲渡ができない一身専属権としての「扶養請求権」です。そして、扶養請求権は、要扶養者が特定の関係にある扶養義務者に扶養の請求をした時に初めて発生すること(判例・通説)からしても、扶養を求めるかどうかは本来的に要扶養者の自由です。
そして、現行の扶養照会は、厚生労働省通知(社会・援護局長通知第5の2、前述の課長通知問第5の2)で定められているだけであり、その範囲や方法は、これらの通知を改正することで簡単に変えられます。具体的には、別添の「扶養照会に関する実施要領等の改正案」のとおり、「明らかに扶養義務の履行が期待できない場合」には扶養照会をしなくてもよいとする上記課長通知問第5の2の原則と例外を逆転させ、「申請者が事前に承諾し、かつ、明らかに扶養義務の履行が期待できる場合」に限り扶養照会をする旨改正すれば済むのです。
また、扶養照会をめぐっては、福祉事務所の現場サイドからも「現在の社会状況にそぐわず、意味がないのではないか」、「親族の調査に関わる業務の負担が大きい」という声があがっています。
2017年の厚労省調査でも、年換算で46万件に及ぶ保護申請時の扶養照会により金銭的な扶養が行われることになった保護開始世帯の割合は、わずか1.45%にとどまります(※4)。東京都足立区では2019年度の生活保護新規申請件数は2275件でしたが、扶養照会により何らかの援助がなされたのは7件(0.3%)にとどまったことが判明しています。荒川区では、2018年度に539件、2019年度に409件の保護開始件数がありましたが、扶養照会により何らかの援助につながった件数は両年とも0件でした。
そもそも、諸外国(フランス、スウェーデン、イギリス、アメリカ等)では、「夫婦」と「未成熟の子に対する父母」に限って扶養義務を認めるのが一般的です。これに直系血族(祖父母、父母、子、孫)や兄弟姉妹まで加える日本民法の扶養義務の広さは極めて特異であることから(※5)、少なくとも兄弟姉妹については扶養義務を廃止すべきとする学説が通説です(※6)。
家庭裁判所の実務を見ても、1975年には3025件あった扶養調停の新受事件数は、2019年には490件へと大きく減っています(※7)。特に兄弟姉妹を要扶養者とする扶養事件(調停・審判)は、統計が公表されていた1976年から1997年の間でも、わずか1~2%に過ぎません(※8)。
このように、わが国の現実社会では親族扶養は形骸化しているにもかかわらず、とりわけ親族に経済的に頼れない方が多い生活保護の適用場面においてのみ親族扶養を求めるのは、生活困窮者に対する理不尽なイジメのようなものです。
コロナ禍で生活に困窮している人たちが増加している状況を鑑み、まず「1」のように扶養照会の運用を変更した上、今後の制度のあり方を検討するため、「2」の調査を実施してください。
以 上
※1 「要保護者」に対して生活保護法27条の指導指示をすることはできず、後述の通り、扶養請求権の行使は本来的に本人の自由である。
※2 令和元年度厚生労働省監査資料から
※3 小山進次郎「改訂・増補 生活保護法の解釋と運用」119頁
※4 2017年8月に実施した2016年7月の保護開始世帯に関する厚労省調査。指定都市・中核市のみの先行集計では2.3%だったが(2018年1月19日社会・援護局「全国厚生労働関係部局長会議資料」35~38頁)、宮本徹衆議院議員事務所に対する2021年2月4日付回答で上記数値が判明
※5 生活保護問題対策全国会議編「これがホントの生活保護改革 『生活保護法』から『生活保障法』へ」(明石書店)47頁
※6 近畿弁護士会連合会編「生活保護と扶養義務」(民事法研究会)16~20頁
※7 司法統計年報第2表「家事審判・調停事件の事件別新受件数―全家庭裁判所」
※8 前掲注6・47~51頁


【資料】

自治体別扶養照会割合(グラフ)

