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 8月22日に当会が発表した抗議声明「声なき弱者を犠牲とすることを国是にしてよいのか/生活保護を「生け贄」とする平成25年度予算概算要求基準を撤回せよ!」については、短期間で多数の賛同をいただきました。改めて御礼申し上げます。また、賛同と一緒に数多くのメッセージをいただきましたので、「公表可」のものにつきまして、以下のとおり掲載させていただきます。

※なお、掲載に当たっては、勝手ながら一部の個別の固有名詞については置き換えさせていただきました。あしからずご了承くださいますようお願いします。


 →抗議声明についてはこちら

* 賛同メッセージ                                 *
声なき弱者を切り捨てることは、切りやすいものを切り捨てる安易でかつ残酷なやり方です。そして、そのようなやり方をこの国が続ければ、未来は暗澹たるものとなってしまいます。このようなやり方ではなく、一人ひとりの生存を尊重して希望の灯を照らし続けられる社会を目指すべきです。そうすることで、必ずや日本の未来は明るくなります。

自分は現在、生活保護を受給しています。生活保護に対するろくな知識もなければ、何の咀嚼もしないでTwitterで呟く人たちに怒りを覚えます。TVの情報番組も酷いです。BPOも問題にすべきだと思います。あと、生活保護を叩いている人は、今後、国や自治体からの補助金などの恩恵を一切受けるべきではないと思いますし、今まで受け取っていた地域振興券や子ども手当をすべて返納すべきだと思います。ところで、そちらの方でネット注文した生活保護関連の書籍2冊がまだ自分の手元に来ていないので、代金が振り込めないのですが、どうなったのでしょうか?一度、メールでご連絡を頂けると有りがたいのですが…。その本で今後の生活支援に役立てていきたいと思います。

弱者切り捨てをする前に高所得者優遇政策を改めることが先だろう。本末転倒で空いた口が塞がらない。

豊かな日本で「餓死」「自死」が起こることは弱者が放置されているとしか考えられません。そのような日本でさらに生活保護を切り捨てれば悲劇は拡大していきます。悲劇を生み出さない人間尊重の社会の建設へ声を上げたいと思います。

どんなにいい法律も制度も運用次第。生活保護行政職員の人財育成をせず、隠ぺいだらけの不当・不法・違憲行為を許し、国家責任の追及を甘んじていた運動を強化、徹底的に変化しなければ何も得られない。

本来は生活保護を受けられるのに受けられない人がたくさんいます。受けられる人をどう増やすかという議論が必要な時に、受給者を減らすような政策をとるというのはまったく許せません。生存権を保障する政治は不可欠です。

福祉カットで有名なあのサッチャーでさえ、最後のセイフティ・ネットである公的扶助制度には手をつけませんでした。そこを切り下げれば、深刻な社会不安を引き起こすことを承知していたからだと思われます。この国の指導者たちは保守主義者としての定見もなく、消費増税と生活保護制度を含む社会保障制度の解体に足を踏み出しました。
昨年末から孤立死・餓死事件が相次いでいます。貧困の底には死が口を開けて待っていることを痛切に思い知りました。
野田"NO"、自民党・公明党"NO"、橋本新党"NO"。

この概算要求基準は、いかに政府が弱い立場にある人々を「その目的ではなく手段」としてしかみていないのかを、白日のもとに晒しました。そうではなく、憲法を遵守し、人々のための政策を行う政府でなければ、私は断じて認めるわけにはいきません。

障害のために生活保護に頼らざるを得ない25歳です。
この国はいつから、弱者は死ねという冷たい国になったのでしょうか。
生活保護の現物給付など社会保障改悪により、貧困が固定されると同時に弱者に対する差別が拡大することが心配です。
政治家と財界は、憲法25条を守れと声を出して叫びたいです。

国内の格差の問題の深刻さがグローバルな格差の問題への視座を曇らせていることに憂慮しています。
グローバルな格差の問題(南北問題)に取り組む仲間たちが、国内の格差・貧困の問題にも目を向けることを訴えていきたいし、逆に、国内の格差・問題に取り組む方々が南北問題にも目を向けていただけるようお願いしたいと思います。
国内外を問わず、格差・貧困の問題は密接につながっている。
グローバリズムの実相です。

「効率化」って一体何なのでしょうか?人の命とは、経済の効率のために削り取られてしまっても良いものなのでしょうか?今一度、人間の命の尊厳を皆で考えるべきだと思います。

貧富の格差がすすむ中,さらに貧富の格差を生むことがあってはならない。
富める者は,大きな声を上げなくても富み。貧しき者は大きな声を上げる力もなく貧しきままである。
国家は,憲法によって,生存権を護るべき義務を全ての国民に負っていることを今一度認識すべきである。
日本に生きている全ての人々が最低限の生活が確保できる社会を希望します。

政権交代に託した民主党には悉く裏切られた。「私の1票を返してくれ」という人たちが渦巻いている。
かといってもとどおりの自公政治にも期待できない。第三の大阪維新、みんなの党も生活保護削減を狙っている。
5億以上の資産をもつ富裕層から年1パーセントの富裕税を納めてもらうだけで、消費増税は不要だ!!みんな政府マスコミに騙されるな!!殺されてたまるか!!生きるために立ち上がり、連帯しよう!!

外国人シングルマザーの支援にかかわっていますが、生活保護をもらっている人は、行政の「水際作戦」が徹底的なので、ほんとうに誰にも頼れない、最後の手段であるという人が多いです。生活保護を受けることができなくなったら、孤立のなかで、死を迫られることになります。

貧困問題は、生活保護の申請者を減らすことでは解決できません。不安定雇用の拡大を推進するような政策から変えていくべきです。

まず、生活保護費に20兆円の予算を組んでください。それだけあれば、漏給問題は解決するでしょう。
増税もしたのですから、何とかならない予算ではないはずです。すべては、それからです。

貧困に対応できていない事が問題です。これまで扶養してきた親世代が現役を離れ年金になれば世帯まるごと貧困になります。
若者の低賃金、貧困対策を求めます。

いま失業中なので、この問題は他人事ではありません。
目につく弱者をスケープゴートとして機能する政治は、もうイヤです。

生活保護を含む社会保障はむしろ聖域化すべきだと思います。税金は何に使うためにあるのか。ずばり社会保障だと思います!良識ある政治をもとめます。
これ以上の社会弱者を追い込むような真似は許されるものではありません。全ての人が安心して幸せに暮らす権利も重要です。

命綱を断ち切るな!

生活保護費を削れ,予算が足りないと言っているそこのあなた,明日は我が身だと思いませんか?

貧乏人は死ねと言うだけじゃないかい。

生活保護費を削減しないで下さい。
子どもたち、そして誰でもが、幸福追求の権利(13条)を享受できるために、生存権、教育権、労働権等の社会権が保障されなければなりません。
その前提条件として、「貧困の拡大」と「貧困の連鎖」を断ち切るために、生活保護予算を含めて、社会保障費の増額を求めます。

病気、障害、失業、DV被害、連鎖する家庭内貧困、災害、避難・・・こういった「暮しに困る状態」だから生活保護を受けてなんとか暮らしている人をさらにさらに「追いつめよう」とすることって、政府・官僚・政治家による国民への虐待じゃないですか?そんな国にしたくない・暮らしたくないですよ。

財政削減のために、この国で生きる人々の生存の最後のセイフティーネットである生活保護を削減することはもってのほかです。
特に、社会構造の変化のために貧困が蔓延し、生活保護を必要とする人々が増えている現状ではなおさらです。
さらには、生活保護が権利であり、必要な時に利用すべき制度であるのに、これを「恥ずかしいもの」「よくないもの」とするスティグマがあり、生活保護を利用している人、利用しようとしている人が反対の声をあげにくい現状がある中で、生活保護を狙い撃ちにするのはとても卑劣なやり方。断じて許せません。

生活保護バッシングによる経済的な将来不安の蔓延は、必ずや消費を減退させ景気回復の足を引っ張り・ひいては経済成長を妨げ税収を下げてしまう悪循環を招くだけ。現在のレベル以上で・かつ持続可能な消費生活保障(<社会保障)こそ、最善の景気対策。

生存権を守るたたかいに賛同いたします。

ただでさえ苦しい障害を抱えて障害者年金と僅かなパート勤めで生活費を補っています。今回の生活保護費削減の流れは、削減を強く主張する政党に沿う形で進められ、もはや今の民主党が国民から託された政策を実行する意識が無い事を如実に示しているとしか見えません。国民の生活を守らずして民主党の存在意義は何なんですか?今回の生活保護費削減の不当な概算要求内容に酷い憤りを覚えます。国民を裏切る政策をするなら国民の信を問うてからにしてください。

生活保護という人権救済制度を、当然受けるべき人に全うに受けられるように政府は努力すべきです。

社会保障を充実させるといって消費税増税法案を通しておきながら、生活保護の保護改悪・社会保障の削減を行うことは国民を騙す行為に他ならず、政府による許しがたい暴挙です。社会の底辺にいる人・暮しに困っている人たちを追いつめるような政策が社会を良くしていくとは思えません。このままではこの国は絶望の国になりかねません。みんなで阻止しましょう。

総理は財務省の代弁者なのか。

政治は弱者のためのもののはず。
弱者を犠牲にして何かを得ても意味はありません。

いかに少数であれ、犠牲者の上に成り立つ社会は批判されるべきです。ほんとうの意味での平等な社会の実現に向けて、今、足を踏み出す時です。

弱い者いじめの政治はやめてください。
政府は、憲法を遵守し、国民・市民の生活と権利を守ってください。

一部の企業や富裕層の生き残りのために平気で命と生活を切り捨てる政策の転換を求めます。

まったくそのとおりです!生活保護は、働かないでもらえるので、怠けているという話をよく聞きます。
ただ、ではあなたが事故で仕事ができない場合にいざ生活保護をもらうとなったときにどうかんがえるか?との問いにやっと本質がわかる人がいました。生活保護は生きていくための権利で、国はその義務を負っている!との声を大きく発信していきたいです。

富裕層から適正な税金を取るところから始めてもらいたい

能人家族に端を発した生活保護バッシングは、すでに深刻に自殺者の数を増やしています。それも決して不当ではない受給者の方ばかりです。人に生きていく権利があるというなのなら、最後の砦を容易く安易に崩してはいけません。今後はますます重要になります。
整理する必要があるというのなら、国民にとって害をもたらすばかりで、なんの幸せをももたらさない政治関係者を整理するべきでしょう。その無能さで彼らには重大な責任があります。

障害者の地域生活を不可能にし、家族責任を押し付ける生活保護の改悪反対。家族扶養を押し付けられては長期入院患者は死亡退院しかできなくなります

財政目的による「最初に削減ありき」の政策は許容できない。(消費税の増税ありきの議論然り、原発の再稼働ありきの議論然り。)
真の「効率化」が図れればよいが、削減ありきの姿勢からはとても期待できない。
順序が逆である。
まずは、必要な生活保護費の総額を明確化すること。
当然その中には、不正取得を排除する仕組みや本来取得すべき人が取得「できる」仕組みの確立等も含まれる。
そのうえで、非効率な部分や無駄な部分があれば、見直し、削減することはやぶさかでないが、「削減ありき」の姿勢では、正確な分析、取り組みができるはずはない。
そういう意味では、上記意見のうち、「堂々と増額要求することを期待する。」の部分には、直ちには賛同しがたい。
増額が必要と言い切るためには、前述の裏返しで、「必要な生活保護費の総額の明確化」が前提となるのではないか。
また、呼びかけにあたり「餓死,孤立死,自死,貧困ゆえの犯罪」を持ち出すのであれば、「生活保護費が受けられなかったこと」との因果関係を明確化し、客観的な事実を紹介することも必要と思われる。
主張の仕方を誤ると、本来達成すべき目的も達成させられない可能性がある。

生活保護受給者です。今でもカツカツで生活しています。
この上削減されれば、健康を維持するのも難しくなります。
上記撤回要望へ賛同します。

生活保護制度は「すべてのひとが生きるための権利」を守るものです。この制度を切り崩すということは、「生きることを保障されなくともよいひと」、「生きるに値しないひと」が存在してよいことを公然と認めるものです。そのような世の中は、不正義です。私は許しません。

働かず、消費することが大切!供給過剰で需要が足りない。
貧乏人に、お金を渡して消費を活性化しないと経済が回っていかない。
貧富の差が拡大して、これが諸悪の根源。
貧乏人はお金がないから消費できない。需要が不足して不景気、デフレになる。
金持ちは余剰資金をデリバティブなど、金融バクチに投じ
リーマンショックなど、金融危機の原因になる。

社会保障しない国に存在意義はあるのか。

73歳の両親と1つ下の弟と暮らしています。母は関節リウマチで障害者1級、父は脳出血の後遺症で1級、弟は先天性の知的障害と統合失調症があり作業所に通い、44歳の僕は双極性障害で仕事はしておらず、両親の年金で生きています。僕は20代後半、病院にかからぬまま数年間、一人暮しのアパートでひきこもり生活を過ごしました。その後に精神科を受診したため、年金を払っていないため、精神障害者手帳があっても無年金です。将来、弟の障害年金に頼って生きていけるでしょうか?ただ今日を生き、明日に命をつなぐことさえ保障されないのでしょうか?将来への不安は私の病症を悪化させます。5人に1人が自殺で死ぬ病いです。しかし、知的障害者の弟を残して僕が先に逝くことはできないのです。ただ一日で弟より長く生きなくてはならないのです。「格差社会」と言われながら、ますます格差を拡げようとする政治に断固反対します!

40歳の男性で生活保護受給者です。がんばってがんばって就職活動をしています。かなり疲れていて役所の担当者からでさえ「ちょっと就職活動を休んだら」と言われています。保護額は本当に低いんです。僕も世間の40歳と同じような人生を歩みたい。きれいなお嫁さんももらって幸せな家庭を持ちたいです。そういう人を応援するように政府は考えてほしいです。

精神障害者が地域で暮らすための重要な制度の1つだ。

生活保護受給者です。夫は肺血栓で倒れ、一命は取り留めたものの、まだ通院中です。他にも心臓が悪く、糖尿病の合併症による眼底出血もあります。今年55歳。
私は鬱と本態性パーキンソン症候群、本態性めまい、喘息の持病を持っています。50歳
子供4人のうち1人は自立して生活していますが、残りはまだ、高校生と中学生です。高校生はバイトをしており、収入報告をしています。
5人で暮らすには狭すぎるアパートで暮らしており、私と夫には仕事がありません。今でも、生活が楽なわけではなく、病院への交通費も申請していません。これ以上、給付額を減らすということは、私たちに餓死するように仕向けているとしか思えません。一家心中でもしたら満足してくれるのでしょうか。
そんな回りくどい方法を取るくらいなら、税金を払えない人間は殺処分にすると言う法律に変えてもらった方がマシです。飢えの苦しさを知らない人間に、社会保障を決める資格なんてありません。3か月間、水とわずかな砂糖と塩で暮らしてから、議論してください。
そして、私たちのような人間にも働ける場所をください。仕事がないのが1番の問題なのです。健康な人に比べれば、大したことはできないと思いますが、一家を養えるだけの給料を支払ってくれる職場がなければ、私たちの問題は解決しません。今まで遊んで暮らしていたわけではなく、病気になる前は働いて、働いて、税金を納めてきました。税金が納められなくなったら餓死が待ち受けている日本はどうかしています。現物支給も個人のニーズに合わせなければ、アレルギーで死人が出ます。わかっておっしゃっているのでしょうか。自分たちは一生、お金に困らないと思っているのならば、大きな間違いです。これ以上、私たちを追い詰めないでください。そっとしておいてください。お願いします。

日本の社会福祉を後退させてはいけない。

声明に全面的に賛同します。7月末閣議決定の日本再生戦略でもすでに生活保護を抑制することが決定事項であるかのように記述されています。そして今回の概算要求基準への本声明が指摘する記述、看過できないものと考えています。
この際、明らかに憲法に違反する社会保障改革推進法についてもその撤回を私たちは求めることも必要と考えています。
これらの動きと一体に行われている生活保護法の基本すら踏み外した政治家とマスコミによるバッシングの影響も深刻です。私たちの医療機関で生活保護を受けながらいのちをつないでおられる患者さんが「自動販売機で私は飲み物を買ってもいいのでしょうか?」と猛暑の中でのどの渇きを我慢されています。困難な暮らしを余儀なくされている方々をこれほどまでに追い込む政策は許されません。
今回のような政策が実行されるなら、餓死、孤立死はさらに拡大することにつながります。
全日本民医連は政府に対して、今回の概算要求基準の撤回を断固として要求します。

生活保護基準は「基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なもの」(生活保護法8条2項)であるのが原則である。この法定考慮事項によって測定した基準を抑制することは原則許されない。それをあえて抑制するのであればやむにやまれぬ正当な理由を国が証明しなければならない。
その証明責任を国は果たしていない。

誰でも、いつ生活保護が必要になるかわからないのです。
最後のセーフティネットを守ってください。

私の携帯には毎日のように「死にたい」「もう限界だ。死ぬしかない」と自死念慮者からの相談が寄せられます。多くは生活困窮者からです。一方、私は月平均8件ほどの割合で孤立死の現場に立ち会います。中には遺体の損傷が激しく、ウジやハエが飛び交い、目をそむけたくなるような壮絶な現場も多々あります。故人は生活困窮者が大半です。いのちの現場に関わる者として、今回の平成25年度予算概算要求基準は、自死・孤立死をさらに増加させると考えます。撤回を求めるとともに、国家権力による弱い者イジメに強く抗議します。

人としてふさわしい暮らしが保障される事が、安定した社会を築く基礎になります。適切な住居が保障されてこそ、就労や社会貢献なども可能となります。豊かな社会が築かれます。
現在の日本は、働いても人にふさわしい暮らしが実現し難くなっています。そうした、歪んだ社会構造を正すことこそ、政府や政策の役割であると信じます。生活保護を縮小させようとすることで解決できる問題ではないと考えます。

今でも全然足りていない生活保護のこれ以上の削減は、多くの人の死につながることは明らかですし、結局、幅広い人々の生活を貧困に追いやると思います。絶対反対です。
一部の不正受給者を取り上げ、あたかもすべての受給者が不正受給をしてるような報道のあり方、それが政府とのデキレースのような気持ちの悪さ。生活保護は生活困窮者、障害者などを支える大切なもの!そこにメスを入れるなんて許せない!まずは政治家の政治特権にメスを入れるべき!
政治が狂っている!

99人の不正受給者を見つけることよりもたった一人の本当に助けたい人のために生活保護は有るべきで朝日訴訟が又繰り返される世になってはいけないと思います。生活に困っている人が居たら必要な援助をしてあげる、生活に困ったら援助してもらう、尊厳を大切にして皆が助け合っていける、そんな世の中にして行かなければと、思います。

生活保護バッシングから、消費税増税etc…
いったい、この国の政治は誰のものだ。
1%のための政治から、苦しんでいる人に寄り添う政治へ。
そのために、社会保障費の充実は必要不可欠。
賛同します。
もう、何年こんな政治続けているのか、こんな政治が当たり前の時代になってはいけない。

憲法を踏みにじり、政治の無能/無策によって追い込まれた人びとを踏みつけにし、社会不安を増大させ、人びとから希望を奪い、国を衰退させてゆくのが政府の役割だなどと学んだことは一度もなかったのですが。。。微力ながら応援させていただきます。

社会にとっていちばん必要で、いまいちばん足りないのは、弱者への気遣いだ。社会を変えよう。政治を変えよう。

格差社会の実態と本質を隠し、そのような社会を作り出した責任を弱い立場に置かれた人達に押し付けるやり方は、強い者のエゴイズムのあらわれ以外のなにものでもありません。

先の見えない不安定な雇用情勢の真っ只中に身をおいている者として、今回の削減案について断固として反対します。
消費活動をしている限り私たちは、汗水たらして得た賃金から日々税金を払っております。
『いつか生活に窮した時に私自身を救うお金だから』と自分を納得させて苦しいやり繰りをしながら払っております。
削減に賛成される議員さん、あなた方も同じ『税金』で生活をなさっておられますよね。
ならば是非『国民目線』になって頂くために、お決めになった削減案と同じ金額で先ずは『身をもって』率先して経験をなさって、その生活がどんな風であるか『人間らしく文化的な生活』が送れているかどうかを国民に教えて頂きたいと思います。
想像力の無い削減案は人の命ですら奪う事になります。
現状、窓口で何人の生活困窮者が追い返されているのかご存知なのでしょうか?
何人の生活困窮者が孤独死し、餓死されてるか御存知なのでしょうか?
また、生活保護自体を受けれずに居られる方が何人居るのか、国は掌握されているんでしょうか?
(国の怠慢で、受けれずに居る方を集めておかしな企みの温床になっているのも事実です。これは国の怠慢が原因だと私は思っています)

現代の貧困に対応したセイフティネットとしての生活保護制度の創設を!

最後のセーフティーネットである生活保護を抑制すれば、生きていくことが出来なくなる人が出てきます。私達の国には全ての人が『健康で文化的な生活』を保障する法律があり、それは必ず守られなければならないものです。そうでなければこの国は強者だけが生き残れば良いという野蛮な国に成り下げるでしょう。こんなことは許してはいけないと思います。弱い立場の人が肩身の狭い思いをせずに生きられる国こそが、本当に豊かな国なのだと思います。

今もっとも必要であり、拡充するべき社会保障は生活保護です。特に家を失った人たちが311以降多く、また原発事故のおかげで生活に困窮している人が多い。彼らにはろくに国からの補償もなく、東電は仮払いと称して金を支給したと思ったら取り上げると言う恐ろしい所業をしていると聞いてます。どうかよろしくお願いします。

賛同いたします。生活保護をめぐっては「死者」まで出ています。これ以上、命が奪われるようなことが起こってはなりません。

外国に援助するより、今まで納税してきた国民の為に使ってほしい。
生活保護は国内で消費してるんだから、納税者に戻っているはずです。燃やしたりしてるはずはなく、家賃、食費、光熱費などで住む地域で使っています、外国では使えないんだから。金券などのばらまきではなく、誰かの生活を支えています。弱者をなめるな!

生活保護制度本来の理念と役割を、行政が責任と自覚を持って具現化できる政治が求められています。

政府の役割は社会権を保障することにあります。
教育権(26条)も労働権(27条)も、そもそも生存権(25条)が保障されていなくては行使できません。
平成25年度予算概算要求基準の撤回をもとめます。

生活保護切り下げ断固粉砕!国は最低限の生活を保障せよ!

生活保護世帯の子どもは、2Kなどの家で家族と暮らすため勉強机もないといいます。
ひきこもりも、実は低所得層がほとんどです。
彼らの悲しみは広げるどころか、なくさなければいけない。

厚生年金の受給者ですが、不足分を生活保護をうけています。毎月ぎりぎりの生活です。国会議員や官僚ももっと痛みを知ってほしいです。いつものことですが、弱いものが狙い打ち。彼らの給料を削減せよ。

未来の権利を守ろう

生活保護の補足率の低さは日本の自殺率が高い大きな要因のひとつであると思います。一方で自殺を防げといいながら、もう一方でまさに生きるための最後の砦である生活保護を改悪するのは国民の生活が第一どころか国民の生活など二の次以下の悪政であると思います。とくに2011年3月の震災以降、震災や原発事故をきっかけとした貧困が表面化し、いままでになく生活保護制度を充実させていかなければいけない時期であると思います。国の存在意義のもっとも重要なことのひとつは福祉だと思います。福祉はたんなる「負担」ではなく、国の基本的な機能そのものです。生活保護を「生け贄」とする平成25年度予算概算要求基準を撤回せよ!とする当活動に賛同し、現政権の強引な政策に反対します。

「聖域視」すべきでない分野は、社会保障費を対象にする前に、たくさんあるはずです。

本来支援を必要とする人たちへの生活支援は、公的に行われるべきです。公的支援は、私達がこの社会が多くの人たち、とりわけ困難な状況にある人々が、安心して暮らせる社会であるために必要な支援だと思っています。そしてその困難な状況を取り除く努力を社会として行っていくことが求められていると思っています。

今の社会情勢の中で保護費を縮小する動きは、現実的ではありません。貧しい人達を切り捨てる事は、何の解決にもなりません。

社会保障と労働環境の良し悪しは常に連動していると思います。長年、労働賃金が保護費を下回る状態を、国は是正しようとせず放置してきました。常に経済団体の言いなりに税制を改悪し続けて、社会に還元すべき所得配分の仕組みの再構築すべきを国は怠ってきました。受給者が負い目を持たずにセイフティネットを利用できる社会でなくてはならないのに、一部の不正受給者をあげつらい世論を煽って、社会保障費を削る口実にしたことは、日本国憲法の理念の死にも等しい行為だと思います。

仕事と住まいはワンセット。失業者が増えれば、家を失う人も増加する。現在、中高年が失業し再就職するのがキビシイことは誰にでもわかる。多くの失業者が巷にあふれているのに野宿者が激増していないのは、かろうじて生活保護制度があるから。決して低所得者向けの住宅政策が充実しているからではない。むしろ公的住宅の予算は削減される一方だ。今ここで、生活保護を抑制し始めたら、多くの人が路上に出ざるを得ないだろう。政府のすべきことは社会保障の抑制ではなく、住宅を保証し、生活を安定させ、新たな仕事をつくりだし、働けるよう支援していくことだ。

誰にでも生きる権利はあるし、それを憲法で保障している。今、働きたくても働けない人が増加している。働いても働いても生活保護未満の生活を余儀なくされている人もいる。これらは、政府の労働偽陽性が招いた結果だ。それなのに、生活保護を切り捨てようとするとは断じて許せない。働く意欲のある者すべての働く権利を保障したため、生活保護費が削減できたというなら良いがとんでもないことだ。予算概算要求基準を直ちに撤回せよ。

小さくされた人々の連帯で、狂った政治を転換しよう。

私は8年前、急性骨髄性白血病を発症、当時ワーキングプアであったため主治医と病院の迅速な働きかけで生活保護受給資格を取得し緊急入院治療することができました。その後、経過は順調で退院してから奇跡的に5年生存率をクリア、現在は2〜3ヶ月間隔での外来通院。「まだ生きれるのかな」と思う日々、ただ、そこで自立への課題がでてきます。私は今50代半ばです。日々社会復帰をしなくてはいけないと思い無料のセミナーに参加したり自分なりに何ができるかを模索しています。それがいきなりここ数ヶ月前からの生活保護受給者に対するマスメディアを介してのバッシングの嵐。一部の議員を筆頭に。それを丸呑みする小宮山厚労大臣、野田民主、十分な議論もないまま急遽、保護費一割削減の報道。それにもまして愕然とするのがクーポン券等の現物支給という受給者に対して人間の尊厳と人権をないがしろにした改定案。彼等のねらいは生活保護制度の廃止なのかと考えてしまいます。たぶんそうなのでしょう。生活保護制度の在り方についての報道は数年前からありましたが釧路市ように受給者が無理なく自立できるサポートの取組みがまず先だと思うのですが。生活保護問題に取組み活動されている生活保護問題対策全国会議の方々には深く敬意を払います。

国の無策のしわ寄せを弱者に押し付ける、現実に真摯に向き合わず弱者を切り捨てるような政治を看過することはできません。
生存権の実現は日本政府の最低限の責務と信じます。

理不尽極まりない議員や政府、マスコミに対して、声をあげて、不正をただしましょう。そして、したたかに生き延びましょう。

生活保護を切り下げ、削減するということはまさに日本に貧者を増やしてかまわないという態度です。
さらに、声明文に言うとおり、弱い者いじめのヒステリーを利用してさらにこれを煽って目的を達しよう
とするもので、是認しがたいことです。

生活保護は人間らしい最低限の生活を保障する制度です。
何があっても退化させてはならないと思います。

生活保護基準が引き下げられようとすることには、心底、怒りを覚えています。消費税増税とあわせて、公共投資の拡大をしようとしていることを考えれば、一層怒りが燃えます。100円、200円の支出にも気を配らなければならない人たちの暮らしの実態を知らない政治家があまりにも多すぎます。先の「タレント事件」は、基準引き下げのための仕掛けだったように感じています。この声明の立場で、議会でも街頭でも大いに語りたいと思います。私のホームページにも転載させていただきました。

生活保護は日本においては最後のセフテイネットです。
現在でも生活保護の受給要件を満たしているにもかかわらず行政の水際戦術等により、生活保護の受給を拒否され餓死、孤独死、自死する等の事件が後をたちません。
現在でも不十分な生活保護をさらに抑制するなど、憲法25条に違反しているとともに、人道的にも絶対に許せません。
「弱者は死ね」と言っているのも同然です。

福祉と教育の軽視は社会の潜在力を奪い、10年後、20年後に大きな損傷として顕在化します。ですから、人権意識の有無に関わらず、単なる資本主義万歳の方であっても、人間を守る政策を求めるべきです。
国内のマスコミが何を言おうとも、円高なのは海外が日本の豊かな懐具合をよく知っていることの証でしょう。変ですよね。
日本企業の多くは、人材のグローバル化を嫌うと同時に、移転先での組合運動に怯えています。そうなると、日本人を安い賃金と劣悪な条件で働く奴隷へと再教育してゆく必要があるでしょう。デフレ対策もなく、労組潰しばかりなのは、そのためです。そういう奴隷たちが自分の境遇に不満を抱かないために、社会の底辺で不幸にあえぐ方々を確保しようというのが、現在の生活保護破壊政策です。
人権で考えても、社会設計から考えても、許せないところだらけの政策には断固反対します。

生活保護費削減は許せません。貧困であれば人間らしい暮らしをしてはいけないのですか。

命の砦にまで手をつけるなんて、社会の貧困そのものです。
この呼びかけに心から賛同します。

生きにくい立場の人への援助をどのくらい引き受けられるかが社会の寛容さであり、真の豊かさだと思います。不正受給の根絶などに労力を割くよりも、受給漏れをなくすための努力をすることの方を優先すべき。生活保護は、それを受ける当人の責任ではない部分の方が圧倒的に大きいのですから。社会の歪みを社会が保障するのは当然のことです。

いのちと暮らしをまもるための最後のとりで生活保護制度は、現状でもしっかりと活用されていません。
本来保護されるべき人々が受給抑制している中での生活保護予算の削減は、絶対に避けるべきです。
失業が増え、年金が不十分な現在、生活保護をいのちの綱と頼む人々を抹殺しかねない政治とはなんでしょうか。
どうぞ、税金はいのちとくらしを守るために使ってください。
生活保護制度は憲法25条の精神で拡充されるよう要望します。
生活保護は命の砦です。そして多くの人々が命を賭してここまで育てあげてきたものです。後退はありえません。守り抜きます。

福祉を惜しんでは復興は叶わない。必要最低限である生活保護を削る時ではない。

受給者へのバッシングは、非受給者へのバッシングでもあります。金は金持ちから取れ!
非正規労働を野放しにし、年金の拡充も行わないままの生活保護削減は、蛇口をしめず、水をすくうざるの目をさらにひろげるようなもの。まるで大量の水が流されるかのように、多くの人が死に追いやられることは明らかです。
政治が「命の尊さ」を口にするのが、命が失われたときだけであってはならない。命を奪うな。

生活保護は生命に直結してる制度です。
生命は人、動物に平等に与えられ、全ての人や動物が同じ価値の生命を有しています。
その生命を蔑ろにする予算設定などは許されません。
かならず撤回させてください。

うつ病などの精神疾患にかかった人は、働くことが出来ず、生活が困窮する場合が非常に多いです。
本来なら、障害者年金で救われるはずですが、生活出来るほどの年金が支給されることは稀です。
最後の頼みの綱、生活保護は、支給するのに窓口の職員の水際作戦と「戦う」必要があり、そのこと事態が精神疾患を持っている者には非常に高いハードルとなります。
今以上、ハードルが高くなり、支給額が減らされることは許されることではありません。
弱者に優しい社会を。

最近起きた、芸人の親族による生活保護利用に関して、過剰なバッシングと洪水報道によって、今では生活保護に対する悪いイメージが定着してしまった。
財務省は、この機会を狙って、生活保護基準の引き下げ等を実行しようとしているのでは、と思えてならない。
しかし、今年の初めに相次いだ複数世帯での餓死・孤立死事件を、財務省や政府は忘れてしまったのか、と思う。実際は、あえて触れずにすすめようとしているのだろう。
これは、貧困のさらなる深化・拡大とセーフティネットの破綻が進んでいることを明示している。
現状よりも厳しく生活保護費を削減すれば、私たちが想像もしなかったようなさらなる悲劇が起きるだろう。
よって、私は、このような政府の方針を反対します。
現状でさえ、生活保護を受けられずに、餓死・病死をする者が多数いるのに、更に支給を絞れば、さらにこれが増える。これは未必の故意ならぬ已必の故意による虐殺である。また死なないまでも苦しむ人々が増える。いじめが云々ご立派なことを抜かすなら、まず生活保護の額と支給率を上げなさい。生活保護費を絞るのは人道に対する犯罪であり、ジェノサイドである。直接殺さなければ、殺人罪ではないという根性は、憲法上はもちろん、人間として決定的に間違っている。断固として反対する。

生存権を守り、誰でも健康で文化的な生活が送れることが優先されるべきです。必要とする人に必要に応じて再分配することで、需要が喚起され、経済が活性化されることこそが真の経済発展に繋がります。

生活保護費の削減より受給者の見直しを行う事が先決です。実際は、暴力団関係には速やかな対応しているのを身近に知っています。本当に弱い者には、上から目線で怖い人には、直ぐに支払われる!以前相模原市役所に同じ内容で、親の生活保護連絡の際に、受給資格はない!と、文章で返したのに支払われた事がある。弱者を見捨てながら自分達の事のみ考えてる!
本気で弱者を救う気持ちで仕事をしているのか?そんな職員も我々の税金で生活しているのだから、職員の減給が先ではないか!

生存権を守ることは最低限の政府の責任。削るべき予算はもっとほかに沢山ある。生活保護の見直しは予算増加しかありえない。

何かあれば生活保護をたたく姿勢に憤りを感じます。生活保護は生きるための最後の切り札です。そのことが分かっている中であえてやっているような意図をが見えます。国民を守れない国は国ではありません。

私はこれから一年事に増える高齢化に対して、生活保護費削減するという事は、国民に対して貧困や障害に苦しんで耐えて生きろということですが、これが25条にある文化的な生活だとはとうてい理解出来ません。これが賛同する私なりの理由です。

平成25年度予算概算要求基準の閣議決定を受け、小宮山厚労相は次のように述べました。「社会保障分野についても、これを聖域視することなく、生活保護の見直しをはじめとして、最大限の効率化を図る」と。しかし、命こそは聖域であり、また生活は効率化の対象ではありえません。貴団体の声明文に全面的に賛同いたします。

国家はそこに暮らす人たちの生存権の問題をもっと丁寧にあつかうべきです。

まさか自分には起こり得ない、と思っていた「苦境」に、実際に陥りました。見事に福祉の網からこぼれ落ちる「苦境」でした。その時に考えた解決策は「自殺」。子どもがいたお陰で死なず(死ねず)にいて、たまたま友人に救われました。私を救ってくれたような友人を持たない人は、生きられない。それは、あってはならないことです。この声明に賛同し、全力で応援します。

この社会に生きる全ての人の生存を保障する義務をまっとうするために、生活保護制度への攻撃に強く反対します。

声明に心から賛同します。民主党政権はことごとく政権交代の期待を裏切ってきましたがここまでかという思いです。

社会保障充実のためにという理念の下に増税を決めたのなら、
生活保護費削減という考え方には至らないはずだ。
制度が生まれたのは、果たすべき理念と哲学があるからだ。
「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
という憲法とは別に、生活を営みながら社会保障に頼らなくても済むように勤労するためのチャンスや病気を治すといった生活を立て直す機会をを与えるという理念と哲学があり生まれた制度だ。
世論がバッシングしているからと、一時の人気取りを信頼回復と勘違いし、
生活保護制度の理念と哲学を失ってしまうような改正は、
生活保護制度が社会保障制度として機能しなくなる。
世論のバッシングの大半は、生活保護の本質を知らずに感情論で言っている。
どんな世論のバッシングがあろうと、理念と哲学のある制度なら毅然として制度を運用し続けるべき。でなければ、生活保護から脱出しようとする人の機会までをも失ってしまう。
人が集まって国となり、人が育ってこそ国の発展がある。
大臣という職務は、総理の指示に従うだけではない。
総理が見直しを指示したのであれば、
現在の生活保護制度が社会保障に必要な制度であると進言出来るのは厚生労働大臣しかいない。その最大の権力を、人を育てるために使ってほしい。

賛同します。金融緩和、財政出動をさらにして景気、雇用を回復させ、個人を自立させるのも大切ですが、生活保護は、絶対に、守らなければならない。保護の支出は、わずかです。不正支給、不正受給は、しっかり対処しなければならない。断固支持。

貧困が広がる最中に社会保障費の削減したら餓死者が続発します。削減の概算要求を撤回して社会保障費を拡充してください。

なぜ生活保護が必要なのか、それを理解しました。私も出来る限り声をあげ、本当に生活保護を必要としている方達の為に協力します。

生活保護は憲法25条で保障された国民の権利。権利行使の先頭に立って活動する皆様に敬意を表します。生活保護の拡大のために頑張りましょう。

子どもから高齢者まですべての人が安心して暮らせる社会を目指しましょう。

最低賃金を上昇させることがまず必要であって、財界の意向を最大限尊重するやり方は、国民の生活を無視している。国民の生活向上に国家予算を配分することが大切であり、生活保護や年金を減らすのではなく、所得税率や相続税などの引き上げなどで国家収入を増やすことを考える必要がある。

削っていい予算はほかにたくさんあります。
軍事費・米軍への「思いやり」・・・。
まずそこを削って、それを生活保護の充実へも分配して下さい。

「どうすれば誰もが安心して暮らせる社会を作れるのか?」を追求することが本来政治がやるべき仕事です。

財政状況が悪いからといって削減されるような生活保護は、生活保護の役割を果たしていません。賛同いたします。

今回の問題は、生活保護の金額の問題ではなく、許容すべき生活レベルの問題でもなく、国家の存在の根幹に関わるものだと思います。また、保護を受けている人々だけの問題ではなく、不安定な生活状況にある多くの国民に係る問題であると思います。若年から老年まで幅広い層の活動になることを期待します。

生活保護費が今よりも削減されれば,ますます貧困は深刻化し,生存権は有名無実化するでしょう。
今回の政府の方針は,本当に許せません。

暴力がより弱い立場の者へ押し寄せる社会から、助け合う社会へと変えていかなければならないと考えております。

公共事業や軍事費・原発などに大盤振る舞いしながら、生活保護を削るなど許せません。生活保護バッシングは即刻やめるべきです。

<不正受給ばかり叩くバカ>
●「受けるべきなのに受けられない」ことには言及せず「受けるべきでないのに受けている」
ことには目くじらを立てる。
不正は不正で糺せばいい話で、ベーシックインカムが取りざたされる昨今であるのに、一部の議員のいかがわしい社会保障削減キャンペーンの尻馬に乗って、一般人が生活保護世帯のバッシングをするなと言いたい。
「働かざる者食うべからず」とは、もともと不労所得で暮らす富裕層に対して投げかけられた言葉なのだ。
生活保護水準以下の所得で暮らしている人は人口の13%と推計しているが、実際にもらっている人は1.4%にすぎない。
厚労省推計(2010年4月)では要生活保護世帯なのに、生活保護を受けていない世帯は229万世帯だが、実際に生活保護を受けている世帯は135万世帯だ
要するに364万世帯が本来なら生活保護が必要なのに、37%の135万世帯しか生活保護を受けていない事になるのだ。
生活保護を「生け贄」とする平成25年度予算概算要求規準を撤回せよ!に満腔の賛意を表します。
やむを得ず弱者になった人たちに配慮する政治こそ国民が望む政治です。そんな政治を期待して政権交代を実現したはずです。「コンクリートから人へ」の政治はどこへいったのでしょう。
生活保護を受けている人をパッシングする人たちはどんな資格でするのでしょうか。何もかも恵まれて今あるからと言って、うまくいっていない人をパッシングするのは傲慢です。
生活保護費より給料が安い人もいます。給料が安いことが問題なのに生活保護費を下げても何の解決にもなりません。最低賃金を引き上げるべきなのに、生活保護費を引き下げるなどは本末転倒です。

扶養義務者問題など、受給者に既にどれだけの親族間コンフリクトを与えているのか分かっているのだろうか?私はこの夏のお盆実家に帰れなかった。日本の制度の悪い点を使って、「財政問題」を解決しようとすれば必ず犠牲者が出る。

マスコミによって生活保護需給者を悪とするイメージが世に発信されています。貧困者を生み出す政府の政策に問題があるので、まずはそこを改善すべきだと考えます。私たちは生活保護問題対策全国会議に賛同致します!!

生活保護費を削減することは、子どもの貧困を拡大することにつながります。そして、貧困の再生産をなくすことは、生活保護制度の重要な役割だと考えます。子どもの貧困が広がる今こそ、生活保護制度の充実が必要です。

私は生活保護受給者では無いが、こんなご時世だからいつお世話になるかもしれない。そう思うと、とても削減に賛成する事は出来ません。
財政のことをいうのなら、金融所得の分離課税(税率20%)や軽減税率の見直しとか、所得税のフラット化の見直しや、相続税の課税ベースの拡大をやるべきです。

障害者で無職でも私には自尊心というものがある。横のつながりがなく声を上げないからまっさきに生贄にされる。おとなしく、ひっそり生活してきたが大声で喚く時だと思う。生活保護は恥ではない!死ぬまで生き抜いてやる!愚かな政治家達がいなくなることを願ってやみません。

今ほど生活保護の役割が大きくなっているときはない。
そのとおり!
それゆえ、みんなが生活保護を利用しないよう、ありったけの力でたたいているのだと思う。

だが国民は気づきつつある。
生活保護が利用しやすくなっても困ることはない
生活保護が増えても財政破綻しない
生活保護を受けられなくて餓死や孤独死が増えれば財政どころか社会が瓦解しかねない
どっちがいいか明白だ。

生活保護の論議が活発化してくる中、今回のお笑い芸人の事件はマイナスに拍車をかけるものであり、あたかも時期を狙っていたようなマスコミの姿勢を感じられます。
本当に生活保護を必要としている人々の、生活・安全・健康を守らなければなりません。これ以上生活格差や健康格差を拡大させてはならないです。健康日本21第2次目標に健康格差の縮小が掲げられています。相反する政策は到底認められるものではありません。貧しい政治を許しておくことはできません。

今ほど富の再分配や、貧困への抜本的な対策が必要なときはないほど、社会は疲れ果てているのに、それに逆行する対応ばかりしている政治や行政には、怒りを通り越して、もはや理解不能の域に達しています。
まったく先行きに希望が持てずにいますが、ここで声を上げないとやられっぱなしで、ますます事態の悪化を招きかねず、蟻の一穴になりたいと思い、賛同致します。

「2013年度予算の概算要求基準」を直ちに撤回してください。このたびの「声なき弱者」を切り捨てる政府の政治判断に、驚きと同時に、大きな憤りを感じています。このような貧困者の生存権を奪う政治に、けっして未来はありません。富めるものをさらに富ませ、冨なき者からさらに奪う、すべての政策に反対いたします。

生活保護で命をつなぐことができた人はたくさんいますし、これからもそうであるために、生活保護改悪は断固反対いたします。

消費税を上げることが決まった途端に、一番の社会手弱者への生活保護を「見直す」(改悪)!!そんなバカな!!憲法はどこにいった?生存権を保証する生活保護法はどこに行った?

生活保護は大切な制度です。
誰もが人間らしく生きることのできる保障となる、素晴らしい制度のはずです。
世の中の流れに少しでもはみ出してしまったら、仕事を失ったら、病気をしたら、事故にあったら…生活をしていけないなんておかしい。
生活保護を受けることは、何も恥じることない、当たり前の権利。
大人がいじめ社会を率先して作ってはいけないのです。

昨今の生活保護バッシングにはじまる、生活保護そのものを惡とする動きは国民全体の根本的な生命の危険に繋がると思います。生活保護をバッシングしてる人達は、生活保護が切り崩される事は自分の足元も切り崩しているという感覚と知識が欠如していると私は考えています。偏向された報道、それを煽る政治家・識者、その人達が原因でしょうが、その煽ってる人達が、この国をどういう形にしようと思ってるのかは、私には理解できません。私は障害者です。社会保障を受けねばならない身として、この国の今後を憂いています。

人が大事にされない国は滅びます

生活保護費の抑制などは、この現状で一番やってはいけないことです。生活保護制度の見直し、というのであれば、たとえば世帯単位から個人単位で支払うといった、より多くの適用されるべきひとに適用されていく制度に見直すべきです。またケースワーカー不足も解消するべきです。見当違いなところを見直すべきではありません。

生活保護バッシングに対する説得力のある科学的な反論になっていると感じます。どんどん宣伝してください。

底辺の飢餓が増えるほど、社会全体の相が不穏な攻撃性にさらされます。
無駄な贅沢は、理由なき焦燥をあおるだけ。足元の灼熱は冷やされない。
飢えを満たすことにより、社会全体が正しい幸福感に包まれるでしょう。
合掌

不景気の続く今、特に底辺にしわ寄せが行く情況の中で、生活保護の削減は彼等の生活を成り立たなくしてしまいます。。一方で経済界への税金の削減は進められる、日本の行き方を恥ずかしいと思います。
経済規模を縮小しても、生きる権利を奪わない、そんな政策を
実行してほしい、予算削減に反対する訴えに賛同します。

9条と25条は、一体になって人間の命と尊厳を守ります。当会はこの声明に全面的に賛成します。

私たちは、毎月2回生活、労働相談会と物資の支援活動を続けて5年たちました。相談会場に訪れる貧困に苦しむ人達が後を絶ちません。生活保護費の削減は断じて認めるわけにはいきません。諏訪地方の中小企業の経営は最悪であり、エプソン、日本電装などの大企業は人員削減など合理化を進めており、働く場所がない状況が続いています。働きたくても働く場所がない中で、多くの住民の生活状況は深刻です。憲法で保障する生活保障の最後のよりどころを国の施策で削減するなどということはとうてい許されることではありません。

弱者のための政治はどこへ行ってしまったのでしょうか。

社会の土台、ナショナルミニマムを掘り崩すような法改悪に断固として反対します。「生活保護叩き」という憎悪の政治に手を染める政治家と官僚は社会そのものを劣化させているのです。彼ら彼女らこそ猛省すべきです。

今でさえ、充分に機能しているとは言い難いライフラインを守るための生活保護。
抑制はありえません。

「原因を憂えずして結果を憂う」日本の悪しき体質だと思います。

社会保障と税の一体改革で消費税増税法案を可決した民主党が生活保護費を引き下げること断じて許せない。

わたしは生活保護受給当事者ですが、個人的には、支給費切り下げにもやぶさかではないという考えです。
しかし、その前提として、まずなされるべきは捕捉率の向上。日常生活・社会生活・就労支援に渡る自立支援システムの機能充実。生活保護に至る前段階でのセーフティネットの拡充。不安定雇用や失業率などに見出される、働く環境の改善。最低賃金や年金など、保護廃止後の生活に関わる事柄の是正、等々……。
それらのことがすべて充分におこなわれ、なお財源が足りない、お金がないんだよということであれば、「健康で文化的な最低限度の生活」を切り下げることもやむなし、ということです。「やれることは全部やった。しかしなおパンが足りない。みんな飢えている。悪いがあんたの分はない」というのなら、喜んで飢えましょう。口減らしが必要なら、わたし個人は死んだっていい。
けれども、真っ先に「健康で文化的な最低限度の生活」をおまえたちから奪うぞ、ほかのことなんか知ったことじゃねぇ、まずおまえたちが飢えろ、というのであれば、わたしは断じて受け入れられません。
今回の生活保護見直しは、消費税増税と併せ、最初に生活保護利用者を吊るし上げて叩き、そののち困窮者層を更なる貧困に追い込んで定着させ得る、下策の下と考えています。したがって、わたしは断固として反対し、本声明に賛同します。

「問題」を作り出して批判的ムードをあおり生活保護を締め付けていく…といったやり方はもう終わりにさせないといけません。
生活保護現業員の意識の変革も今強く求められます。

生活保護は,どの人も生きるに最低なところを国家,社会として守ろうと言うものです。
予算状況等に左右されることのない地位をもった制度です。
これがあるから,一生懸命働き,年金もなくなっても「最後は,生保があるさ」とまず自己努力で踏ん張れるのです。生保まで行く前にほとんど,人生を終わってしまいます。
頑張ってもやっぱり生きているよと言う人だっている。それは幸せなこと。年金で足らなくなれば,ちゃんと生保があると言える安心な社会つくりを。
働きたくても働けない障がいのある方には,最後の突っ張り棒ですよ。
不正受給者は数の知れたこと,しっかり取り締まればよいこと。生保受給者の多くの方は,必死ですよ。


今日、自民党野田派と化した政府は、めざしの土光が会長を務めた第2次臨時行政調査会を淵源とする、アメリカ帝国主義のシカゴ学派が唱える新自由主義に基づく、橋本6大構造改革、小泉構造改革路線、即ち、多国籍企業化した独占大資本、大資本家の利益を最優先させ、憲法25条に規定された生存権保障、その最後のセーフティーネットというべき生活保護制度を「社会保障」制度でなくそうと画策しています。社会福祉領域で言えば、95年社会保障制度審議会勧告により、社会保障の社会保険化は既に既定の路線となっていたわけですが、今回の「概算要求基準」は露骨にそれを現したものです。断固として反対し、粉砕する戦線の一翼を担う決意でおります。

社会保障による生存権保障こそ自立の前提だ。政治家は社会保障の基本を学ぶべきでしょう。

生活保護は災害救助や救命医療と同じく「命」を支える大事なもの。論じるときはその認識に立って論じて欲しいのです。生活を無視して削減ありきというのは弱者に死ねと迫るようなものです。

憲法第25条に違反しています。憲法は、政治家や官僚が国民を痛めつけないよう、定められたものです。弱者の現場を知ることもなしに、自らの収入を減らすこともなしに、一番簡単な方法で事を納めようとする無知で傲慢な物事の決め方に反対いたします。自分が、自分の家族が生活保護の受給者になることなど絶対にないと思うのは自由ですが、そういう場面を想像すらできない人は、政治家になってはいけません。官僚になってもいけません。25条が達成される理想の人間社会を作っていこうという強い意思がないなら、政治の世界で福祉にかかわるのはやめてください。

生活保護制度はわたしたち国民全体の生活の基準に連動していきます。このことを多くの人に知ってほしい。弱いところにしわ寄せがいく国のやり方は許せません!

自民党女性議員による生活保護バッシングは目に余るものであった。品位も叡智も謙譲もなく、感情的でヒステリックな物言いは、今の時代の流行かもしれないが、日本の政治家の程度の低さを全世界に明白にしてしまった。権力を持った強者が一人の市民を公に痛めつけることなど、欧米の政治世界では考えられないことだ。この出来事に後押しされるように、今回の予算案が出てきた。政権側の政治家も、案を練る官僚も、嬉々としてこの事件を利用したとしか思えない。理想を持たない政治家が大手を振る国の民は、この上なく不幸だ。

わが会員に生活保護の人はいますし、障害年金だけで暮らしている人もいます。貧乏はより貧乏に、金持ちはより金持ちになる政策をやめろ!貧乏人をいじめないで、金のあるところから取れ!

社会福祉士を目指す「福祉の学習者」でもありますが、生活保護を受給している「当事者」でもあります。
ギャンブル依存の父と、買い物依存の母のもと、生活保護家庭ではないものの、
貧困層の家庭に生まれ育ちました。
ネグレクトなどの虐待もあり、経済的な問題もあり、18歳で実家を出ました。
しかしその後17年もの間、前夫からのDVで苦しみ、実家や知人等に頼ることもままならず、ひたすら耐えてきました。
14年ほど前、PTSD起因のうつ病を発症し、非正規雇用の仕事も辞めざるをえなくなり、「自力で暴力のある家庭を抜け出すことが困難」に陥りました。(なお、未だに精神疾患に関しては治療中です)4年ほど前に役所でのDV相談がきっかけで生活保護に繋がりました。
当時は生活保護という制度に対して、本当に無知でした。
「何か特別な人が受ける制度」という誤解をしていました。
生活保護のおかげで、30歳も後半になってようやく、人から危害を加えられずに生活できることや、安心して治療を受けながら、
障害年金を受けながら、奨学金貸与を受けながら、ではありますが、通信教育部の大学で学ぶという選択もできました。
自分の人生を生きられる喜びを感じられるようになりました。
受給者が大学に行くなんておかしい!などと言われたこともあります。(福祉事務所から学費として1円も出していただいていません)
安全に生活できることや治療に専念できること、ちょっとした楽しみを持つこと、それが贅沢だと心無い人から後ろ指をさされてきました。
生活保護を受け、離婚をした途端に、偏見のまなざしを向けて去って行った友人も数多くいました。
受給者や受給に至らない貧困層の多くが求めているのは「ふ」だんの「く」らしの「し」あわせ、つまり「当たり前に享受できうる生存権」なのに。
障害年金に限らず老齢年金もそうですが、基礎年金だけでは、家賃と光熱費を払っただけでなくなります。
労働各法違反の雇用や労災隠しなどが常態化し、労働者の権利も脅かされている現状、一度でもドロップアウトした人に、大変冷たい今の日本。そんな社会構造には目を向けたがらない政治家。
そして弱いところから削りとろうとしていく。
芸能人の報道を機に生活保護バッシングがかなり強くなったと身を以て感じています。
弱いものが、さらに弱いものを叩く構図を、議員やマスコミなどがつくりあげていく。
それがとても恐ろしいことと感じつつ、福祉全般について学んでいる立場でありながら、精神的に不安定になり、外に出られなくなった時期もありました。
twitterもやっていますが、生活保護を受給しているということを伏せながら、受給者が置かれている現状・背景にある社会問題や病気の苦しみなどあたりさわりのない程度でtweetするしかないことも情けなく感じています。
twitterの拡散記事を見て、HPにたどり着きました。「生活保護をスケープゴートにするな!」という主旨に賛同するとともに、当事者として声を挙げる機会をいただけたことを感謝します。

当事者です。母子家庭で働いていましたがとうとう病気をしてしまいました。どうか子供の権利守り、将来に暗い影を落とさないでください。

生活保護削減は、憲法25条違反です。政府の社会・医療費・補償費など削減の方針で、軍事費や原発再稼動費・公共事業費増額の一助にすぎない。現今の自・公・民政権を早く倒すべきです。

生活保護制度が完璧な制度ではないこと、前向きな批判的検証が必要なことは仮に首肯できたとしても、現状において生活保護制度を縮小することは、多くの人の生活を切り刻むことに直結することは明らかであり、断じて予算削減は許してはならないと思います。心より活動を応援致します。


私は生活保護制度に、いのちを救われました。
この制度は、私たちのいのちを守り、支えてくれる、そして本当の意味での自立をさせてくれる、大切な制度です。
わたしは、私のいのちをつないでくれたこの制度を、守っていきたいと思います。

税には所得再配分機能があります。いま生活保護を受けている人も、かつては元気に働いて税金を納めていたかもしれません。同様に、いま元気で働いて税金を納めている人も、いつどんな縁で生活保護を受けざるを得ない状況になるかわかりません。
「国家の品格」の著者である藤原正彦氏は、著書「心に太陽を唇に歌を」のあとがきで、「日本人には昔から、弱いものや貧しいものへの涙があった」と述べています。社会的弱者をどれだけ支援できるかがその国の品格を決めると思います。

僕は「精神障害者」なのですが、「病状」もあって、なかなか動けません。この間の生活保護バッシングの中で、本当に悔しい思いをし、また、生きずらさを感じています。しかし、皆さんのような方々が、それに反撃しがんばってくださっているということが、生きる励みになっています。ありがとうございます。
現在の「貧困」を生み出す社会構造を根本的に考えたいと思います。誰かが「ずる」しているといった現在の風潮に精神の「貧困」を感じます。

民自公3党合意による消費税増税と社会保障の改悪が進められており、一番弱い立場の「生活保護」へのバッシングが行われているが、これはナチスが侵略戦争を推進するためにユダヤ人を迫害した手法を感じさせる。
昔から「金は天下の回りもの」と言われてきたが、大企業に266兆円もたまり、国民に回ってこないので失業と不景気が生み出されており、この日本の行き詰まりを打開するには大企業や大富豪の「金を天下に回す」しかないと思う。
消費税増税と生活保護制度の改悪は、日本をどん底に落とし込む最悪の施策であることを経団連や民自公にも分かって欲しいが、目先の欲の皮が邪魔して彼らには分からない。
ならば、私たちが声を上げ大きな行動を起こすしかないと思い、この呼びかけを強く支持するものです。

すべての人の生きる権利を保証しろ!

これ以上の弱者切り捨てに我慢できません
生計は経済の最大の力です。
いずれは、もたざるものの不利があらゆる全国民に浸透し生活に多様性や考え方の多様性を崩壊させるきっかけとなることでしょう
これを阻止し、万人が暮らし万人が幸福を得られる社会として欲しい。
そんな当たり前の状況を覆す今国会の議員・官僚にNOを突き立ててこそ民主主義の民主たる所以ではないでしょうか?

震災以来、政府の心無い対応にほとほと嫌気がさしています。私たち自身もきちんと責任を果たしつつ、声をあげていかなければと痛感しています。専門知識のある方々の活動、心強いです。

消費税が上がって、生活保護費が削られて、TPP加入で保険医療も受けられない状況になったら、3万人超で高止まりしている自殺者数が、4万にも5万にもなります!昨年の未曾有の震災ですら死者・行方不明者は計2万人です。毎年東日本大震災の倍の被害が出続けてもかまわないのでしょうか?「貧乏人は麦を食え」どころではなく、「すぐに死ね!」と言われるのに等しい時代が、我々の選択次第で来てしまうのです。自民・公明・民主はもちろん、新自由主義を掲げる維新やみんなの党にも投票してはいけません!せめて我々の生命ぐらいは守ってくれる新たな政治勢力を作っていきましょ
う。

最後のセーフティーネットを社会的レベルで議論もなく削減する政治にたいして「恐怖」すら覚えます。

生活保護改悪問題では、大阪市長の橋下が今の現金支給ではなく、現物支給への改悪と言っていますが、この発言自体が憲法25条に違反しているもです。また医療に関しても、ジェネリック医薬品を強いることや、医療費の自己負担を強いることも含めて悪政続きです。生活保護費が現状の物価にあってなく、受給者は一日3食とれず、2食で我慢し節約しなければ、やっていけない状況にありながら医療費に自己負担を含めて、消費税増税で更に生活が追い込まれてしまいます。日本国憲法は、何のために作られているのでしょうか。憲法25条は、何のためにあるのでしょうか。今、悪政を押し進めようとしている政府に聞きたいです。社会保障制度の全般が破壊されようとしている中にあって、生活保護問題対策全国会議の皆様におかれましては、是非ともにこの悪政を断ち切って下さるよう、頑張って下さい。期待しております。

受給者なので、とても不安です。

社会保障・税一体改革は、社会保障の公的責任を完全に放棄し、自己責任を押しつけるものです。
社会保障財源を消費税に求めることは、社会保障の役割の一つである所得の再分配機能を放棄するものであり、さらなる消費税増税に道を開くものです。所得税の最高税率の引き上げや法人税率の引き上げこそ必要です。
さらに、生活保護費を大幅に削減しようとするとする動きは、憲法が保障する生存権をふみにじるものであり、断じて認めることはできません。
平成25年度の概算要求基準を撤回させるために、力を出し合いましょう。

障害者と、「稼動年齢の」健常者を分断する言葉がもりこまれています。これを他人事と見逃せば、必ず障害者の生存権も否定されます。障害者こそ先頭に立って反対します。

日本は、憲法により「文化的な最低限度の生活を営む事」を全ての国民に保障している国です。予算の削減は、許されません。

生活保護制度は日本国民だったら。誰でも受けられる困窮状態の最後の砦です。
生活保護費受給即不正と言う大キャンペーンがマスコミによって喧伝され、それによって政府民主党や自民党が見直し、生活保護法の改悪を目論んでいます。
障害者の立場からも何の就労支援の施策をとっておらず、障害年金だけでは暮らすことはできません。
生活保護制度の比率の中で、高齢者に次いで障害者が多い統計もあります。
私たちは障害者の.地域移行の観点から生活保護の胆力的運用を要求すると共に今回の見直しに対して断固抗議します。

昨今、低所得者層の国保税の滞納が顕著に増えています。生活保護・最低賃金問題・震災被災者・貧富の格差の拡大など貧困問題は山積みですが、われわれ民主商工会も生活困難者の救済に力をいれて活動しています。共に頑張りましょう。

生活保護は最後の生命線。それに頼らず生きていける社会を作ろうとせずに削減するなど本末転倒・生活保護基準が下げられれば、低所得階層を中心に労働者全体の生活水準が低下するのだということを伝えていく必要があると思います。
逆に、政府は、だからこそ生活保護基準を下げて、雇用保障と社会保障全体の削減を狙ってきているのでしょうが。

弱者を叩く世の中になって欲しくないです

消費税10%増税をはじめ、社会保障削減など格差を更に拡大し、貧困化と社会的弱者を苦しめる政治を許してはなりません。団結の輪をひろげ暮らしを守るためにがんばりましょう。

この事柄は自分の問題であり、社会の問題です。小さな声でもまとまれば大きくなります。
票だけが大事な議員に任せておくわけにはいきません。

「国民の生活が第一」と謳って船出した民主党政権ですが、原発・消費税・TPP・オスプレイ等に対応する態度はことごとく国民の生活がないがしろにされています。日本の貧困の構造を作ったのは政府であることを認識し、社会保障の原点に戻って生活保護法の充実をはかることこそが求められているのではないでしょうか?
また、この間のマスコミの生活保護たたきのありさまはあまりにも知性を欠いていると思います。
自分は長期失業中です。やはり生活保護を「蹴られた」口です。予算を削り、門戸を閉ざせば「一部の選ばれし人」しか生き延びることのできない日本になります!
自分もこの概算要求に、断固反対です!

貧困がますます広がり、深刻化する中、生活保護の切り下げは、すべての国民生活に関わる基本を揺るがす重要な問題です。生活に困った人のいない安心して暮らせるやさしい世の中になるよう。みんなでがんばっていきましょう。

消費税増税が衆参両議員で閣議決定されました。
政府は自分たちの都合のいい結論だけはさっさと決めておいて軽減税率や社会保障についてはまったく進めずです。
このままいけば弱者がますます生きにくい日本になってしまいます。
目先の経済だけが最優先で強いものだけが勝ち残る世の中は断じてゆるすことは出来ません!
ベーシックインカムなどの社会保障対策を何もせずに予算削減とはあきれてしまいます!
日本国憲法では、第25条1項において「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定めているはずです。
みんなで声をあげて訴えていきましょう!

憲法で保障された権利の行使を「恥」と思わされてしまう日本社会の人権感覚の低さを強く憂います。

低すぎる捕捉率を不問にし、低すぎる最低賃金や年金を前提することで、生活保護利用を「特権」と誤認させ、国民相互の怨嗟を煽り、社会保障給付を削減しようとする一切のやり方に強く反対します。
命を値切るな。

格差は、単に貧困者が増加するだけでなく、社会の活力を削ぎ、秩序も乱れ、富裕層にとっても良いことは何もありません。
我々は、国民が等しく、健康で文化的な最低限度の生活を営むことのできるだけの国を作ってきた筈です。
貧困と格差を根絶する闘いを、富裕層とともに進めていきたいと思います。

現在、私も失業中で生活保護を受給しています、年齢は世間で言う所の、いわゆる稼動世代ですが、就業活動に関しては非常に厳しいのが現実です。年齢不問と言いつつ、結局は年齢の若いほうが優先される、当たり前です。また先を見据えた給与を考えると、それらに見合うだけの求職先がほぼないのも現実です。非正規雇用にしても、雇用の調整弁といいながらも、やはり年齢が優先される、政府や政治屋の思っている、いや嘯いているようなさも定期券を継続購入するかのように職を乗りかえれるような現状ではないのが現実です。現実は調子のよいときだけ派遣労働を利用し、駄目になったら切り捨てる、そして派遣労働者、非正規労働に待っているのはホームレスになるという現実。また大阪の西成区のあいりん労働者にしてもそうである!!調子のよいときだけ散々彼、そう日雇い労働者を利用し、いらなくなったらそれまで。人間は機械のように電化製品のように寿命がくるまで同じ能力を発揮できる生き物ではない!!年齢と共に能力も落ちてくる、特にあいりん地区の日雇い労働者のように体力仕事では顕著である。また定期券を継続購入するように転職できないのも先に述べたように現実である。次の職が決まらないまま、やがて家賃すら滞納するようになる、待っているのはホームレスである!!それら現実に気が付いてからこそ、自らの権利に気付けた人々は生活保護を受給するのではないか?悪徳サラ金にお金を借りてまで生きるのは違うと気付いてのである!!ホームレスになる必要はないと気付いたのである!!未だホームレスをしている人は、ただ単に手続きが面倒だからとか、監視されているように感じるのが嫌だととか、またやはりなんとか自分の力で生きなければならないと義務感から申請していないだけであり、こういう人々はたしかに誉められるべき存在である!!だが所詮はその義務感を利用されているにしか過ぎないのである!!義務を果たすべき存在は我々困窮者ではない!!税金が足らないから、生活保護を抑制、また消費税を上げる、とんでもない考えです。生活保護がここまで増えたのは野放しにしてきた非正規雇用、本来なら生活の補助的手段であるアルバイト、パートを生活の柱にしなければならないような体系、もはや競争ではなく共食いとしか言えないような競争社会を野放しにしてきた結果、人件費抑制から生じる給与のあからさまな現象であり、そもそも責められる糾弾されるべきは生活保護受給者ではなく、経済界であり、俗にいう非国民、売国奴と罵られるべきは、経済界である。真にやるべきことは生活保護の抑制ではなく、社会の構造を改革すべきなのである。年金にしてもなぜ時給750円や650円の人間と年収1億とか1千万以上の人間が同じ額なのか?また退職金や資産が豊富にあり年金をもらわなくても困らない人間が受け取るのか?これらの改善をせず、国民年金では生活できないのに生活保護のほうが上である、
さも生活保護のほうが得しているかのような風潮、そもそも国民年金が生活保護以下、だから生活保護護が得している、違うであろう、そもそも働いても生活保護以下の給与が間違っているのである!!
生活保護をきりさげたから、生活保護以下の給与が上になった、だから満足なのか!!そう思っているような国民は愚かとしかいいようない!!なんら解決されていない!!そのように国民を煽動する政治屋こそ、糾弾すべき非国民、売国奴なのである!!国民を欺いて、結果、特をするのは政治屋とそれらを利用している経済連のような売国奴なのである!!例え生活保護を切り下げてもなんら国民の生活は換わらない、いやよりいっそう酷くなるだけであり、また税収そのものも増えるどころか頭打ちにしかならないのである!!我慢をすべきは生活困窮者、低所得者、下層階級の労働者ではなく、富裕層、資本家なのである!!また最低賃金をあげると一番困るのは零細企業であり、最低賃金を上げるのではなく、富裕層、大企業に逃げ得するような税体系を改め、ふさわしい税金を収めてもらうのが筋であり、義務である!!年収300万以下の世帯、もちろん合計ではなく個人あたりであり、これらの世帯には生活保護同様に年金、地方税、保健の免除、また家賃にしても生活保護と同様の地域にあった限度額いっぱいの支給、これらをやるべきであろう。さすれば働かないで生活保護だけを支給されているよりも働いた方が断然得に感じるはずである!!新幹線や高速道路、ダムを作る前にもっとやるべきことがある!!家賃が高額設定のURではなく格安の家賃である市営住宅の普及。初期の投資はたしかに高くなるが、国民の生活に余裕が出来れば少子高齢化にも歯止めがかかり、また余裕と安心した生活から経済も上がるはずである!!こうした議論も行わず、ただ目先の利益、目先の国民の不満をそらすかのような生活保護の切り下げ、抑制など断固賛同できない!!断固として政府、政治屋、特に苦労も知らず富裕層の出身者でしめている自民党、民主党に強く訴えていただきい。私は先の自民党議員に槍玉にあげられた芸能人を擁護する気はないが、だがその見せ掛けの正義感で1人の人間の人生をめちゃくちゃにしたことは非常に許せない!!

最後のセーフティーネット。その役割を考えたら、その削減は絶対に認められない。

私はその他世帯(保護行政上、障害・高齢・母子のいずれのカテゴリにも入らない)の現役受給者です。
財政の健全化を目指したいのならば、社会保障費の削減ではなく、景気回復による増収及びその後の税の累進性復旧等で行なうべきだと考えます。
私でも再び税金を払えるような、失業者の少ない日本に戻すべきなのです。

憲法第25条だけでなく、国際労働条約の批准特に、強制労働廃止良薬、差別待遇禁止条約はもとより、障害者権利条約に則ったすべて分野での差別禁止、特に精神障害者の隔離政策撤廃と、(日本もオブサーバとして参加する)欧州社会憲章と同等の人権としての完全雇用、より高い生活水準、生活保護受給を理由とした差別禁止、貧困、社会的排除、ホームレスからの保護も実現を痛切に求めたい所存です。
彼らは生活弱者です。弱者切捨ての政治は3年前に決別したはずです。こんな裏切りが許されて良いわけがありません。

社会の底辺で暮らす人々の生きる権利を奪う生活保護費削減に断固反対する。原発再稼働や消費税増税を進める現政権の反国民的政治は絶対許せない。

生活保護は、野宿者が住まいを確保するために必要不可欠な制度です。貧困が増えている状況の中、貧困対策もせず生活保護の予算を削るのは、ありえない対応だと思います。

近年釜ケ崎を中心とした日雇労働者・ホームレス・生活保護受給者の生活や健康にかかわる実践的研究を続けています。生活保護は、貧困におちいった人々の「いのち」を守る最後のセーフティネットです。生活保護制度を崩すことは、貧困層の「いのち」そのものに対する攻撃だと考えます。

こんなことは許してはいけない。弱い立場の人に生きる権利を与えなかったら何にもかわんない。

生活保護の適用は厳格でなければならないとは思いますが、本当に必要な人たちにきちんと手が差し伸べられなくなるのは良いことではありません。本当につらくなったらすぐに保護を受けられその後保護から早急に抜けられるようなプログラムが必要です。

生活保護費減額はあきらかに政治家の票取り政策です。
心から怒りを感じています。
「格差社会解消のための対策をなにもしてこなかった為政者のツケを、社会的弱者に押し付けるな!」

生活保護の改悪は、憲法違反!アメリカに思いやり予算を出すなら、自国民を助けるのが国家です。
断固阻止します!

政権のやりたいようにさせてはなりません。自民党政治よりひどいことになりかねません。がんばって阻止しましょう。

生活保護問題だけでなく、すべてにおいて国民の声をまともに聞く政治を!!

私達夫婦は今岸和田市を相手に生活保護の裁判で闘っています、岸和田市は私達夫婦が本当にお金も無い、食べる物ない仕事も毎日一生懸命になって探しても「真摯になって」みつからないので、本当に生活が出来なくなり岸和田市に生活保護の申請に行きました、ところが窓口に担当者が来られ僕を見て体も健康だし年も若いし、岸和田市内で仕事必ず見付かるとと言われ窓口で追い返されました、その後も5回申請にいきましたが、全て却下処分されてしまいました。この事が許すことが出来ないので裁判で闘う決意をしました。本当に国も岸和田市も許すことが出来ません
生活保護問題対策全国会議の皆さんお願いします
本当に生活保護が必要な方が普通に活用できる生活保護制度にして上げて下さい僕も賛同します。

改悪後の生活保護制度の後ろには絶望だけが積み重ねなっています。
人々が安心と笑顔で暮らすための制度は後退させてはいけません。

格差社会を放置して、貧困の解決はないし、世界の紛争の原因は差別と貧困です。野田政権はまともな政治を行え!

生活保護は国民の生活を守る最後の砦です。子は親の背を見て育つといいますが、政府の弱い者いじめの姿勢は国民に伝わります。現在、中学校のいじめによる自殺問題が社会的な関心を持たれていますが、次世代を担う子どもたちに憲法第25条をどう説明すればいいのでしょうか。本音と建前で構成される社会は子どもの心にも伝染します。「人はパンのみにて生きるに非ず。」弱者を排除せず、国民一人ひとりが「夢」や「希望」を語れる社会であってほしいものです。東日本大震災の発災直後の「絆」はどこへいってしまったのでしょうか。

一番低いところにあるものを虐げるとき、社会は、一緒に落ちていく。誰もが病気になったり障害を負う可能性があるのに、自分は大丈夫と知らぬ顔。無関心こそが、この社会を滅ぼす。いざ、自分が必要な時に、誰の手も借りられなかったら死ぬしかない。それでいいのですか?

年金問題と過酷な労働の放置を改めてほしい。
精神障害者を増やさないで。
介護を家族に押し付けない。介護のために仕事をやめてしまったら、あとは生保しかなくなる。
生保は柔軟な利用ができるように制度の改変を望む。

格差拡大の是正を含む貧困問題対策が脆弱なまま、生活保護費を削減しようとする政策は到底容認できるものではありません。

必要な人にきちんとお金がまわる仕組みが大切だと思います。
憲法25条に基づく、所得再分配機能の強化、雇用と社会保障の充実に向けた政策提言と実行をお願いしたいです。

[生活保護]パッシングに反対します。

弱者の立場に立った社会保障制度の見直しをすすめてもらいたいです。

社会保障制度は、社会的弱者の生活を追い詰めるようなものとなることを許すわけにはいきません。

国による弱い者いじめをやめさせるため、がんばりましょう!

沖縄県石垣市から賛同します。
石垣市は3級地-1、隣の竹富町や与那国町は3級地-2です。しかし、離島は物価も割高で、那覇市などに行くには飛行機しか交通手段がないなど、都市部と同等、あるいはそれ以上生活費がかかります。3級地とされていること自体以前から疑問に感じていましたが、更に給付が削られるとなると、「健康で文化的な最低限度の生活」など望むべくもありません。国は、もっと現実の生活を踏まえて検討すべきです。


声明文の通りです。生活保護受給者を苛めるのではなく政府は富裕層から税金を取ってください。

この度強行成立させられた社会保障制度改革推進法をみて驚いた。附則に「生活保護制度の見直し」を入れるのが異例であるし、その中に“就労が困難でないものが正当な理由なく就労しない場合は厳格に対処する措置を”とある。これは行政の判断ひとつで、要保護者を選別し、すべての国民の生存権保障をうたった憲法25条の否定であるし、昭和21年の旧生活保護法に歴史を60数年逆戻りさせることである。
全高齢者の半数を超える高齢者世帯やひとり暮らし高齢者世帯をはじめ、餓死を含めた孤立死が全国各地に続出する地域社会が軒並みになるだろう。
いったい,いつから、誰がこのような日本をつくったのか。民自公の歴代政権の座にあるものたちの責任と厚労省などの責任は厳しく糾弾されなければならないし,いますぐ、生活保護制度改悪、社会保障制度破壊の道への進むことを悔い改めることを要求する。

高額所得者層に対する所得税を大幅に増税し、社会保障費を確保し、所得再分配を図るべきです。政府に対して言いたいことは、貧富の格差が広がると、経済も行き詰まるし、社会全体も不安定になってしまう、ということです。

弱者や苦しんでいる人々を切り捨て、政治家や社会的地位のあるものに甘い政治にはやりきれないものがあります。
私たちの弱いものでも、多く集まれば大きな力になると信じて、多くの人々の平和のために賛同いたします。

今年の5月28日付でHP(http://www.npocsn.jp/seimeibun.html)に生活保護に関する声明文を掲載しております。
貴団体の活動や主張に常日頃共感するところ多く、今回の声明文発表に対しても深く賛同の意を表します。

社会保障分野では、生活保護法、自立支援法、介護保険法などの強化は今後の日本には雇用がままならない状況を回復、改善させるには、若者も年寄りも関係無く必要になっていくと存じます。故に上文を読んだ上で賛同させて頂きます。

生活保護が増大して困るというのであれば、貧困に落ちざるを得ない多くの人々が、落ちなくて済むように、もう一度這い上がれるような政策を実行してください。

西欧では権利として認められているのに、国内では1%以下の不正受給を公表せずに生保受給者攻撃には、断固反対します。

生活保護を叩かずに、雇用保障・最低賃金をよりましなものにすべきです。

憲法で保障された生存権を侵害する悪政は断じて許せません!

生活保護へのバッシングは今までまともに就労政策をしてこなかった、低所得者への支援をしてこなかった国の怠慢だと思っています。

生活保護は最後のセーフティネット、今日、更に拡充していくべきものです。

生きることが、生きることだけでよしとして、肯定される世の中に。
少なくとも、誰でも生きられるようにするために、わたしたちは社会をつくたはずであり、国という機構もまた、そのためにこそあるはずです。
ならば、社会保障を削減しようというのは、どうひっくり返しても出てこない理屈だと思います。
みんなで生きるための、再分配。
むしろ拡充されるべきだろうと考えます。
成長戦略とやらは、そこから先の話ではないでしょうか。

生活保護者への攻撃は許されません、黙って見過ごすことはできないので賛同します。

賛同します。強者であるはずの政治家がここまで国民を裏切り,弱者を踏みにじる国になってしまいました。それこそが恥ずべきことです。

あらためてこの指摘を胸に。「最低限度の水準は決して予算の有無によつて決定されるものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである。その意味では決して相対的ではない」-朝日訴訟東京地裁判決

憲法に基づく保障を守れ

おつかれさまです。生存権裁判も支援しつつ自身も法律家となるべく勉強をしております。
弱者同士足の引っ張り合いなどせず生存権運動に協力すべしと考えております。
心より賛同させていただきます。

生活保護は命を明日へと繋ぐ大切な制度です。充実すべきくらいなのに、抑制するとは死ね!と言っているよなもの。弱者切り捨ては許せません。生きれる社会、死なない社会を目指すべきです。

声明に全く同感です。生活保護が窮屈になることは、かえって社会生活に落ち着きを失わせ、心理的精神的ひっ迫感を増大させ、困窮への落層を増やします。目先の政策は品性と哲学の貧困、無責任に満ちています。

「憲法25条が保障する生存権」を脅かす生活保護費抑制に強く反対します。学校、職場を蝕む「イジメ」の根幹には、国の弱者切り捨て政策があり、これを打破できない市民の側の連帯、批判力の弱さがあると考えます。第4の権力ともいえるマスコミに対する「目下の日本の貧困者が置かれている状況を直視し,なぜそうした状況が生まれているのかを現場から取材し,事実に基づく冷静で科学的な報道をすることを期待する」という本声明に含まれた文言に共感します。

貧困対策を現状のままで、生活保護費を削減するというのは憲法25条に違反することになるだろう。
コンクリートから人へと言って選挙に勝った民主党政権のレゾンデートルに関わることなので、選挙なしにはこういった政策を実行することはできない。

以前生活保護ケースワーカーとして働いていました。が1981年当時の生活保護適正化策が打ち出された後起こった「母子家庭餓死事件」他の悲惨な状況を再び繰り返してはなりません。

国民の文化的生活に関する権利を守り抜きましょう。

いま生活保護は濫給を問題にする時ではない。本当に必要な人が受給できていない漏給こそが問題なのである。にもかかわらず今回の生活保護の予算削減は問題の本質を見落としているのではないか?多くの人がバッシングに気を取られ切り落としているのが自分達に身近なものだということに気づいてほしいと思う。この声明が多くの人の目に触れ、おかしさを多くの人が主張していくことを願ってやまない。

私も今仕事を探しているところです。障害を抱えているので応募出来る求人も限られて来ます。ハローワークでは生活に困っているシングルマザーも沢山見かけます。生活保護を削減するのではなく、不正受給を無くす事が大切なのではありませんか?

生活保護費の見直しよりも、非正規雇用の改善など根本的な部分の解消が社会保障制度維持には必要です。視点を間違えているとしか思えません。

ご奮闘ご苦労さまです。どの予算分野にも聖域などありませんが,予算の作り方で,個人をどれだけ大切にしているかが問われます。生活保護予算は,最も削ってはいけない分野のひとつでないでしょうか。もちろん保護費が増えるのは望ましいことではありません。むしろ,保護の必要が少なくなる世の中の仕組み(雇用の創出,労働者保護,税制など)を作ることに力を注ぐべきです。

趣旨に賛同します。憲法25条を実質化できるのは現在のところ、生保以外には殆どありません。もっと社会的弱者が住みやすい社会を作りたいです。

現場の対応はじめ運用面で改善すべき点も多々あると感じていますが、根本的に国民一人一人、特に困窮者を優先して保護する行政の責任をあまりにも軽く見ていると思います。そもそも、所得の再分配以前に、税金の使い道や、立法・行政が深く関与する経済の「しくみ」が富の偏在、格差の拡大を引き起こしている「不公正」に目を向けるべきです。

国民の間に格差を拡大することが「強い国」にすることになると錯覚している「弱肉強食主義者」の支配層、超高額所得者に鉄槌を下す必要がある。

母子家庭です、身寄りも親も家もなく、正社員にもなれず、生活に困り福祉を頼るものもいるのです。子供の教育もお金がかかります、将来に向けての教育は今の
時代必要です、今でもギリギリなのにこれ以上おいつめないでください。子供にはチャント教育して社会に出してあげたいです、行きたい学校にも通わしてあげたいです。
どうか協力してください、子供には貧困の責任はありません。
日本は貧困者に対して支援が足らず子供が貧困連鎖に陥りやすいくにです、子供がどんな家庭に生まれても人並みに生活できる国にしてください。
貧困に好きでなる人はいません。
貧困が自己責任なら生まれてきたことが辛くなります。
日本は優しいい思いやりのくにだと信じたいです。
13歳の息子がいいます、日本では貧困者と犯罪者は同じ扱いだから、弱者は見捨てる国だから、子供は差別をかんじるともいいます、どうか子供に夢が叶うと信じさせてください。

積極的に活動に協力しているとは言い難い状況ですが、弱者を切り捨てる社会は絶対に阻止しなければならないと思っています。
貧困からうまれる悲劇が繰り返されませんように。

今の政治は、憲法の精神を無視して一部の富裕層擁護にまっしぐら。
私は、安心安全な社会を望みます。
日本の歴史にない犯罪が増えているのは、政治の貧困です。治安の悪い社会では、富裕層も安心して暮らせないんじゃないですか?
全ての人間が幸せに生きる権利があります。みんな無垢な赤ん坊で生まれてきたのです。

社会保障と税の一体改革と言いながら、言っていることとやっていることがまるで真逆の政策には、到底承服できません。いつでも弱い立場の人々にしわ寄せが来ることには怒りを通り越して虚しささえ感じます。いったい憲法25条の生存権・国の社会的使命はどうなったのでしょうか?

年に3万人以上の自殺者、それに加えて頻発する餓死・孤立死。その原因の多くが貧困です。シリアの内戦での死者が2万人。日本ではその数倍もの人が貧困のために命を落としています。「静謐なる内戦」です。誰が誰を殺している内戦なのでしょうか。憲法25条をないがしろにしている行政による殺人と言っていいと思います。メディアはこの異常事態を直視すべきです。政府は自らの「政策的・行政的な犯罪」を反省し、直ちにただすべきです。それと真逆な生活保護改悪など、あまりに異常です。
生活保護制度を窮屈なものにすることは、他の社会保障制度の弱体化に繋がり、結局、全ての人々が生きにくい社会を生み出すことになります。
他人事ではないのです。

「税と社会保障の一体改革」は、まさに「一体改悪」です。消費税率引き上げでは、低所得層がより大きな打撃をうけます。そして、8月10日に可決させられた「社会保障制度改革推進法」は、「自助」を明記し、「社会保険制度を基本」とし、社会保障の主要な財源は消費税を充てる等、「日本国憲法第25条に抵触するおそれがある」(日弁連会長声明)ものです。そして、附則には、「生活保護制度の見直し」と称する改悪が企図されています。このようなことは、「応能負担」による税の公正な拠出で「所得再分配」をするべき社会保障の理念・根本原則に真っ向から反するものです。社会福祉・社会保障の充実を願う私は、このような「大改悪」に強く反対します。

今回の概算要求基準は憲法25条の規定の趣旨にこたえるものになっているでしょうか。大変疑問です。「私たちは,これ以上黙っていない。」との声明に強く賛同します。

財政難だ・不平等だ、と生活保護を叩いている政治家や御用学者・マスコミたちへ。財政難なのに整備新幹線は着工するのか、コンクリートから人へはどうなった?・財政難なのに一度落選した東京オリンピックには今度も税金をつぎ込んで招致するのか、歳費以外に政党助成金などをもらっている政治家どもは不平等ではないのか、一向に無くなくならない天下りは不平等ではないのか、教えて欲しい。非正規あたり前・職を失ったら即ホームレス・一人親家庭で仕事は掛け持ち病気も出来ない、という世の中を、規制緩和だ・自由社会だと煽って作ってきたのはあなたたちだろう。責任を感じないのか。職もない・住む家もなくなるかもしれない・病気になっても医者にも行けないという世帯から、最後の命綱を奪ったらどういうことになるか、想像もできないのか!さすがに欠陥原発を推進した責任を一切取らない政治家・御用学者・マスコミの面目躍如たるものがある。こんなことを平気で推進する今の政府・マスコミ・経済界・学会は、史上最低・最悪だ。

全国青年司法書士協議会人権擁護委員会委員長大野栄司です。当協議会でも「生活保護改悪阻止」署名活動を実施しております。
共に、頑張っていければと思います。

これまで、生保申請の相談にきたかたは、いろいろな手を尽くしても自分たちの力ではどうしようもなくなった方々です。オレオレ詐欺のようにだまされた奴が悪いなんて言う人がいるでしょうか?
今の生保バッシングは異常としか言いようがありません。それだけ社会が矛盾に満ちて、歪んでしまっているような気がします。
これ以上の生保給付の削減はゆるせません。生活困窮者への温かいまなざしを取り戻し、最後のセーフティネットである生活保護制度の拡充にむけて、ともに頑張りたいと思います。

生活保護予算の拡充をお願いします。

問題は既に理解されていると思います。
問題は解決方法です。
減税日本が結成されました。
左派と貧乏人は重税日本を結成しなければなりません。
もっと重税を!
そしてもっともっと社会保障と再分配を!!
社会主義計画経済が失敗した後、市場原理主義に対抗出来る社会主義的な政策は重税です。
左派は現実を直視し、貧乏人の生存と健康(精神的な健康を含める)が可能となる社会空間の創出のために、大胆な政策提言をする必要があります。
今すぐ重税を!!そして医療費、介護費、生活保護費、年金、障がい者手当て、子供手当て、母(父)子手当て、全ての社会保障費の爆発的増大を!再分配の革命的実行を!
全ての貧乏人と左派は団結して頑張ろう!!!

命を守るセイフティーネット、権利としての生活保護は絶対に必要です。

これだけ責められれば、生活保護による扶助を受けるのが辛いが、受けるしかない。
現在は扶助を受けていなくても、いつ病気や事故や失業などで困窮する人が続く。
日本の生活保護は、日本中の住民の組織的な助け合いなのだ。
これを無くしたら、残るのは散発的な善意が残るに過ぎない。
それでは、北極や南極の氷が融ける様に、社会が融けてゆく。
生活保護を含む社会福祉の仕組みで、社会の歪みを意識的に緩和してもらいたい。
一度きりの人生を誰もが全うできる社会にしなければならない。

まずは貧困を減らす対策を!それもないまま削減は本末転倒!

社会的に弱い立場にある人ほど、生き易い社会を目指しましょう

思いに心から賛同いたします。日本は裕福に思われてるかも知れませんが、私の周りは皆苦しい生活です。どうか声をあげて思いを達成して下さい。

声明に賛同します。弱者を叩き、命を削ることが国家の仕事であってはなりません。経済的な弱者を生み出し孤立させ命を危機にさらす社会・経済構造にこそ目を向けるべきです。憲法無視の国家的イジメを座視し看過するわけにはいきません。

あらゆる人が、いつでもどこでも必要とする医療を受けられるよう日々努力しています。今はそのために「保険証不要、診療無料」のJヴィレッジ診療所で、主として福島原発事故の収束作業に携わる方々の医療に従事しています。本当は、「制度」がなくても、そこにいる人がおたがいに助け合いながら生きていく、あたりまえの社会をこれからの世代に遺すことが大切だと考えています。
「抗議活動の、その先へ」ともに歩みましょう。

上記声明文趣旨に、その様に思います。賛同いたします。
ごく一部の心無い人の行為によって、本当に困っていらっしゃる弱者を切り捨てようとしているとしか思えません。
生保の網はまだまだ荒く、本当に困窮している人々を救っているとは思えないのに・・・・・
政治政策の根本的解決(就労・賃金・年金etc)を望みます。

国民の最低限度の生存権を保障することを目的とした生活保護制度は、国民の安全を護るのと同じで、国家の最低限の責務である。その予算確保の基準は必要か否かが全てであって、足りないからといって予算を削減していいような性質のものではない。
なんとしても財源を確保し、保障しきらなければならないものである。それができないのであれば、国家として失格といわざるを得ない。
そして、生活保護予算を削るのでなく、生活保護が必要とされる社会システムこそ改善することにより、予算確保は可能なはずであって、政府は、そのことにこそ、全力を傾けるべきである。
私のまわりには、近い将来生活保護を受給せざるを得ないことが確実な方がおられるため、とても不安を感じる。

私は生活保護受給者です。
私はトランスジェンダーで働くことが困難なので、働きたくても働けない状況にあります。
私にとって生活保護は生存の制度そのものです。
私の生存権を奪わないでください。
私は私の生存の為に闘います。

弱者にしわ寄せ。国民の命綱を削ることは許せません。

特に2番目の項目に賛同します。企業は利益を上げるために手っ取り早く人件費を削減します。解雇、非正規雇用で、労働収入だけでは生活できない人が増える一方です。
憲法25条はどうなっているのか!
生活保護費を削るより、企業が内部留保を減らし雇用拡大するような施策を産み出すのが政治の責任でしょう。

貧困に目をつぶることで、どのような政治が実現するのだろう。
片方に食べ物がありあまりながら、餓死者を出す国は、もはや国ではない。ひとらしくありたいとおもう人間の住むところではない。
ひとが住める国をつかむのは、他でもないわたしなのだ。

格差と貧困拡大を放置して社会保障を削っても財政再建、デフレ不況脱却から遠のくだけ。政策の方向性が逆だ。

敗戦の焦土から人民が必死に働いて「経済大国」になった筈なのに、餓死者や自殺者が絶えないことにこそ憤りの声を上げるべきです。

国民の「生存権」を守るべき最後のセイフティーネットである生活保護制度が、ごく一部の不正受給者や非常にまれなケースである芸能人などのネガティブキャンペーンにより、政府も自民党も生活保護受給の厳格化や支給額の引き下げなどを強引に推し進めようとしているが、これはとんでもないことで、さらに生活保護の受給が困難になり、生活保障全体にも大きな負の影響を及ぼし、結果として餓死や自死などによる多くの被害者が出るのは明らかである。小田実の「これは『人間の国か』と」いう言葉が、まさに現実と化している恐怖と怒りを感じざるを得ない。今こそ、国民の一人一人の力を合わせて、何としても、これを阻止しなければならない。

一番弱い層をいっそう苦しめるより、累進課税や法人税を上げて
ほしい。豊かに暮らしている人たちが少し収入が減るのと、ギリギリの生活の人たちをさらに死に近づけるのと、まったく意味が違うと思います。
私自身がそうでなのですが、非正規労働者が急増し、今30-40代で親元から出られない層が、親が死んだ後どうなるのか?退職金も昇給もほとんどない、アルバイト程度の収入で低い年金しかもらえない層が60歳を超える20年後、餓死者が急増し街が死臭でいっぱいにならないためにも、目先の利益ではなく未来の日本の幸せを政府にはしっかり考えてもらいたいと思います。

健康で文化的な最低限度の生活を営む権利は何としても守るべきだと思う。

格差の拡大・貧困の深刻化は、国が「大企業優遇・金持ち優遇」の施策を進めてきた結果です。
もうすでに「子どもの貧困」「貧困の世代連鎖」が問題化しているにも関わらず、「いのちの尊厳」に逆行する概算要求基準は絶対に許せません!
弱った人たちを、寒風吹きすさぶ野外へと押しのける世の中を、民主主義だの文明社会だのとは呼ばない。
これは他人事ではない。
倒産・失業・病気・事故・貸し倒れ・裏切り…。
こんな世の中、何かで人生の歯車がくるえば、誰もが生活保護受給者になりうる。
みんなの力で、誰一人見捨てられることのない世の中にしていきましょう。

生活保護受給者です。
仕事が出来なくなり、とても国には感謝いたしております。
生活保護バッシングを見てると、とても肩身と心が痛みます。
順風満帆に人生歩んでいる方には申し訳ないけど、人生躓くことが多くて苦しいもんなんです。でも、俺らも、底辺で、何とか這い上がろうと頑張っている。そんな人たちもいるんです。障がいを抱えて、頑張りたくても頑張れない人たちもいるんです。
霞が関の皆さん、目先の事だけでなく、この国の未来を考えてください。基礎が崩壊すれば、どのような構造物でも崩壊してしまいます。人あっての国家です。どうぞよろしくお願いします。

「日本は豊かな国である」という幻想から貧困は自己責任であるという単純な観念が生まれ、さらに財政負担の軽減という観点から安易に生活保護費が削減されようとしています。貧困の現実をしっかりと見据え、その原因を政治によって改善できるものを仕分けしたうえて対処する。今政府に必要なのはこういった取り組みであろうと思います。保護受給者が怠惰な生活を送っているといったイメージを垂れ流す一部のマスコミ、これに便乗する政治家、そしてその延長線上にある今回の概算要求基準に対しては、明確に撤回を求めます。この度の声明に対し、全面的に賛同するものであります。

不当な権力からの攻撃を力をあわせて跳ね返しましょう。

声明に賛同します。
生きるための最低限のセーフティーネットは必要です。
自分自身いつどうなるかわからないですし人ごとではありません。
弱者を切り捨てる社会は野蛮です。
ひとりひとりのいのちが大切にされる社会を築いていきたいです。

やむなく保護を求める方をだれが責めることができるでしょう。
生活保護の正当な運用に力を入れるべきです。

生活保護問題でのマスコミによる異常な「バッシング報道」に身が震える思いです。日本社会に根強く残る生活保護受給への「スティグマ」が地域社会を飲み込んでしまうかのようです。

生活保護制度をとりまく現状と課題は以下のとおりと分析できる。
①生活保護基準が引き下げられるとのことだが、まずは最低賃金を引き上げ、生活水準を引き上げることが先ではないか。
②不正受給が報道されているが、悪質なものはごく一部であり、ほとんどは申告遅れ等によるものである。
③その一方でケースワーカーの加重労働はほとんど報道されていないだけでなく、地方自治体の財政が厳しいことによる人員削減は社会福祉法で定められている基準を無視して配置されている。
④このような状況ではケースワーカーの心理的負担は増す一方であり、ひいては福祉人材の確保を困難にするおそれがある。
生活保護水準の引き下げを再考させる運動をこのような形でしかできませんが、応援しています。

生活保護費削減は反対します。それでなくても、消費税増税、年金金額アップ、年金の受給開始年齢アップなとどあわせるとまともな暮らしができません。憲法第25条の違反ではないですか

「コンクリートから人へ」の理念はどこに行った!?
非正規雇用増やして年金減らして障碍者対策不十分で消費税上げて生活保護減らしたら、屍累々は目に見えてるじゃないか!
国民の怒りを甘く見ない方がいい。

「最低限度の生活」を送らされる人々への保護費圧縮つまり削減とは実に残虐です。社会保障を聖域視しないと言うのであれば、そもそもが貧困者を隠蔽するかのような生活保護費のさらなる圧縮・削減という考え方にはならないと思う為。
声なき弱者を生け贄にしないよう、日本国憲法で保障された「生存権」を無視しないよう、声明に賛同します。

生活保護以前の社会保障制度もロクにないのに、最後のセーフティネットを削減しようとする政策には納得がいきません。生活保護の水準を妬む人が生れるほどの最低賃金の低さ、年金額の低さの方こそ叩かれるべきです。

働いていないのではなく、働けないのです。私にできる仕事を下さい。めまいや耳鳴り、難聴があっても、満足に階段の上り下りができなくても自転車に乗れなくてもできる仕事を下さい。生活できる賃金を下さい。自分の賃金で生活できたら、生活保護は受けていません。でも、働けなくても生きる権利、幸せになる権利はあるはずです。私の権利を奪わないで下さい。

日本は、先進国などと称されることを恥じるべきです。世界中の貧困に責任を持つべき国が、自国の貧困を拡大することしかできない。
生活保護を「生け贄」にすることは、絶対に許されない。

国民の健康と生命を大切にしない国家に怒りを禁じ得ません。経済という非常に目の粗い網から落ちてしまう人はどこの国にもいる。そうした人たちを救い(掬い)続けることが政治ではないのか。大企業減税をやめることのほうが急がれねばならない。こうした政権を許すことはできない。

雇用先でのいじめでの退職が続き、日雇いアルバイト、ハウジングプアも経験してきた。職も決まらない。障がいもある。生保は必要だったから受けている。だけど降って湧いたようなバッシングに心は疲弊し、それ以前に自分も叩かれ、いつの頃からか動悸もし始めた。今もしんどい。
日本という国は弱い者いじめが大好きなお国柄だ。誰かを見つけて叩けばいい気になって人を叩く傾向が顕著だ。しわ寄せもひどい。強いものにはヘコヘコして、弱いものにはこれでもかと搾り取って精神的にも追い詰める。こんな社会でいいんだろうか。奢ってばかりの社会には蹴りでも入れたいくらいだ。
もう一度書く。こんな社会でいいんだろうか。強くするべきものはもっとあるだろう。
非正規雇用ではなくて正規雇用にするとか、逆転現象を解消するために賃金を大幅に引き上げるとか、雇用する側にもサポートするとか、何かにつけすべてを渋る渋らせることは必要ないだろう。雇用が増えない限り、リストラがあり続ける限り、景気も経済も停滞する。対価も対等でなければ、人も働くことに喜びを感じられない。これらが続くようであれば、もっと現在の状況は続く。また、雇用の中で不当な働き方を強いられ、心を蝕まれることもある。それらの出来事で働くことに意欲を削がれることもある。それは悲しいことである。
最後のセイフティネットを削ろうとする前にもっとすべきことや考えるべきことがあるはずなのに、弱い者いじめ大好き国家はさらに追い打ちをかけるようにいじめをする。日本が強くあるべきためには、弱い者いじめをなくすことも大事なのに、これでは諸外国に笑われるだけだ。

効果的な貧困対策もないまま社会保障を切り捨てる安易な発想かつ金持ちばかり優遇する政治はもう止めてほしい。そもそも、その国に住まう人の生存権を保障しないで、先進国と言えるのか。
政治状況に不信と憤りを持つ私は、「声なき弱者を犠牲とすることを国是にしてよいのか。生活保護を「生け贄」とする平成25年度予算概算要求基準を撤回せよ!」声明に、賛同します。

「つまり,政府は,最も弱い立場にある生活保護制度をいわば「生け贄(スケープゴート)」として叩いてみせることによって,歳出削減をアピールし,他の制度への波及効果も狙っているのである」
こんな事に利用されて孤独死や自殺者が増えるのは許せません。

裕福な政治家の人には見えないのかもしれませんが、「普通」に暮らすことができなくなっている市民がこんなにも増えている現実・押さえつけではどうにもならない現実を直視する時なのではないかと思っています。

生保の「合理化」,聞こえはスマートですが,弱者切り捨ての恐ろしい言葉です。生保バッシングはこのような政策へと現実的につながってしまうのかと愕然とします。愕然,茫然としてはいられないと,声をあげる機会をもうけてくださって有難うございます!政府と政治家にこの切実なメッセージを受け止めてほしいと心から思います。

生活保護は貧困に陥った/陥るかもしれない全ての個人にとって、最後の生きる砦である。
安易な削減が何をもたらすのか。
安易な削減を容認することが何をもたらすのか。
生きる人間を想像して欲しい。
何より生活保護があることによって、
あなた自身の最後のセーフティ・ネットが確立されていること。
それが削減の対象となっていることを想起して欲しい。
<向こうの先の問題>ではない、
あなたと私自身に直接関わる問題なのだ。

2008年の派遣村以降、ホームレス支援を「もやい」や新宿連絡会の炊き出しなどを通じ臨時的にお手伝いしております。
生活保護予算削減の目的に、抱合せで今回の芸能人による扶養問題がいいように利用されましたね。
デフレ経済が続き、倒産や失業が常態化するなか社会保障の充実が大切にも関わらず、政府の政策やマスコミは自律・自助を声高に宣伝し弱い立場の人を責め立てます。
確かに有効需要を増やす公共投資など財政再建も大事ですが、その一方で小泉改革より削減されてきた社会保障費を見直し、資格や技術力に乏しい人でも参加出来る働く場を拡大し、最低生活を営める財政的な条件整備を求めます。
福祉の実施機関である行政組織は国に逆らえず、余裕のない中で眼の前の困窮者のサポートに追われています。

自殺者を減らしたい・・1人の命を守りたいと活動している団体です。守らなければならない人々の一番の苦悩は、経済苦・・。

生保予算の削減は国民の不安を一層拡大させるだけです。社会保障の拡充は国の責任です。

日本人として生まれてきた、一人ひとりの尊厳を、守り育てていく必要を感じています。

昨今、個人の尊厳が軽んじる方向にあり、危惧しています。
正しいことを主張していく必要性を感じています。

誰もが人間らしく生きられる社会、憲法25条が生きる日本を!

財政難を理由に個人の尊厳を蔑ろにするなと強く訴えたいです。

生存権裁判の弁護団に加わっている弁護士です。今の生活保護基準でさえ、生身の人間が人間らしい生活を送っていける基準ではないのに、これをさらに引き下げるなんて考えられません。政策担当者には「自分だったら生活保護基準で生活していけるのか」を胸に問うてほしいと思います。

社会的弱者を叩き、搾取を繰り返す強者の論理を推し進める国家は許されない。

声明文に賛同します。貧困層の拡大など生活保護の充実が求められている状況であるにもかかかわらず、基準の見直しを行うことは社会的弱者の切り捨てにつながりかねません。見直しに断固反対します。
人間の尊厳を踏みにじる社会保障切り捨てが許せません。「働いて、人並みに暮らしたい」という切なる願いすら、非正規雇用優先の社会では叶いません。生活保護世帯を今以上、精神的に追い詰めさせないため、これから生活再建をかけて生活保護を利用する人々を応援するため、声明に賛同致します。

貧困と格差をなくすため、ともにがんばりましょう!

自由競争とセーフティーネットの拡充は小渕内閣の頃からの政府の約束だったはずです。
不景気なればこそのセーフティーネットです。不景気になれば支出が増えるのは当たり前と考えます。減らすことは国民の生存権を脅かします。

貧困をなくそう。

議員やマスコミがやったことは、生活保護バッシングだけではありません。社会的イジメの奨励という公共道徳の破壊です!
マスコミや政府に踊らされて一知半解に生活保護受給者を叩く人々を作り出した政治家は、亡国の輩です。

新宿七夕訴訟は、ホームレス状態にある人の生活保護申請を「稼働能力不活用」を理由に却下した新宿区福祉事務所の処分の違法性を問う裁判でしたが、昨年11月8日に東京地裁で原告勝訴判決が出て、本年7月18日には被告の控訴が棄却され確定しました。
生活保護は「権利」であり、権利を侵害する違法な処分に対しては司法によって是正されるということが改めて確認されました。
生活保護の権利性を奪い貧困状態にある人をさらに追い詰めるような政策をとることは絶対に許されません。

社会保障を充実させ、まともな労働ができるようになれば、必然的に生活保護費の支出額も下がるはず。今、やろうとしていることは全くの逆です。これでは、ますます貧困が拡大します。

貧困者の最後の命のともしびを、いとも簡単に消し去ろうとしてる政財界に怒りを覚えます。
「弱い人」は「弱い」から強く叩けば吹き飛ぶとでも考えているのでしょうか。政治家の考えはまったく理解できません。生活保護を「施し」と考え、上から下民に与えているという特権意識が見え見えで、だからこそ、生活保護制度も権力者が自由に改悪できるとしてると思います。国民の命を守るのが政治の本来の仕事です。自覚してほしいです。私は今回の声明に全面的に賛成しますし、応援します。

長年の多岐に渡る構造的癒着や利権問題が、例えば原発を巡ってやっと明らかになっていますが、同根です。それら改革されるべき事がされていない不策のつけが弱いものに回っています。99%の人が1%の下敷きと言われ、世界各地でオキュパイムーブメントが起きている、その中でも日本は今、健康で働けても大変に過酷です。
根本的に民主政治を取り戻し、透明で公正な行政では、健康でない人だってその人らしく社会貢献して充足を得るのを当たり前としたい。取り組みありがとうございます。

生活保護改悪切り下げ現物支給医療費自己負担大反対です。

セーフティーネットのない社会は経済的理由による犯罪を犯す人が増え、治安が悪化しより多くの代償を払うことになるでしょう、生活保護はもっとも経済的な治安維持費でもあります。

生活困窮者問題をもっと議論すべきですね。

貧困問題は一部の人の問題ではなく、同じ生活圏、ここで言うなら日本という国に属しているすべての人の問題です。ここをしっかりとしてはじめて諸外国の問題にも目を向けられると思います。
どんな状況であろうと人間らしい生活を送る権利はすべての人に無くてはいけません。生活保護の状況悪化につながる予算には断固反対いたします。

「生活保護問題」も大幅な改悪をしようとしています。これから、被災地では、最後のセフティーネットの生活保護世帯が多く出るのは、必至です。
それも、予想してのことではないのでしょうか・・?
呆れた政治家たちです。
「生活保護」の不正受給は許せませんが、もらうべき人がもらえないのはおかしいですよね。

6月26日付け毎日新聞によれば、生活保護を名目にして各自治体に警察官OBを配置する動きが増加している、しかもケースワーカーの資格の無い者までもがいるという。何故自治体は許しているのか!こうした事を許してはいけない。

生活保護を受給せざるを得ない実態を無視し,ただ「削減」というのは,だれのための政治なのか?と疑いたくなる。
生活保護受給率が下がるべく政策を,真剣に考えなければならない。

反論できない芸能人をターゲットにし、それをきっかけに世論を納得させようとするやり方は納得できない

「徹底した歳出の効率化を図る」とは、必要なところに効率よく税金が使われているか図ることす。増えているから減らせではなく、なぜ増えているか、現状を把握し最後のセーフティネットをしっかり構築することが必要です。必要とする人が増えているのに減らす。なんといも計算の合わない話です。

生存権の最後の砦である生活保護すらこのありさま。ひどい世の中になって、毎日怒りで体を震わせています。せめて、一部のマスコミだけでもこの声を取り上げてもらいたいと願うばかりです。
!!!!!
生活保護は、人権のなかでも要でも有る生存権(憲法第25条)を保障する、国の社会福祉の最後のセーフネットとして機能すべきものである。だが、実態は、最後のセーフネットとして機能しておらず、その最後の網の目が零れ落ちてしまったり、また、掬いあげる場面で掬いあげない事もある。
そんな状況の中、生活保護の予算を削減することは、まさに国が守るべき国民を、守らないと断言している事と同じである。
私は上記の理由から、今回の声明文に賛同の意を表する。

政府のやり方はさすがにひどい。
がんばってください!!

不正受給の見直しは必要ですが、社会の安全装置である、生活保護そのものの削減には絶対反対です。

声を上げれない社会的弱者を追い込むような改悪は許せません。
また、芸能人の母親の受給をきっかけに、生活保護受給者を国民の不満の掃き溜めにしているとしか思えず、本来取り組むべきは経済対策・雇用対策であることを棚にあげ、議論をすり替えられていることに皆気付くべきです。
政府主導の改悪が実現するなら貧困を原因とする、自死・孤独死・餓死・児童虐待・DV問題が更に深刻化することになるでしょう。
この政策を進めるということは、政府が弱いものいじめをする国になっていくという認識を持っていただきたいと思います。

一部企業の利益追求の影となり低所得に陥る人々、失業する人々、国のまちがった政策によって傷つき病気に苦しむ人々が、誇りを持って生活でき、子供たちに教育や文化を十分受けさせ育むことのできるような社会保障を求めます。

賛同します。
日本の現状を変えてください!

賛同します。応援しています。特定の意図のための政策ではなく、生活者同士での助け合い、その延長での政治行動でなくてはならないと思っています。上から与えられたものでなく、土台から我々が築いたものの上にできる何かでなければ。まずは土台をつくる我々の意識です。

立場の弱い人、声をあげたくてもあげられない人
ぜひともみんなの力を結集して守りましょう!

国家予算に左右されることなく,国民の最低生活を守るためにつくられた制度です。生活保護予算が不足すれば他の不要不急の行政経費から捻出するべきものです。
生保水準より最低賃金が低いところがあるからとか,数少ない不正受給を目のかたきにしたりと,世界的常識である全国一律最低賃金を無視し,生保職員の数の少なさや専門性の低さなどをさておいて,受給されている方々をいじめる結果になることは止めて,国家財政全般の不要不急問題を厚労省が指摘することをはじめないとどうしようもないのではないでしょうか。さらに,経済界にしっかりと働く人々の賃金や労働条件を向上させる役割を厚労省が果たしていかねば,存在価値がなくなると思いす。

横浜市福祉事務所への警官OB配置に反対しています。
長らく学校事務職員として働いてきました。生活保護の前段、準要保護=就学援助制度も改悪されています。

社会の矛盾や歪みを、社会の中で弱い立場に置かれた人々に押しつけ、命を切り捨てて金を優先する。この非人間的な政治に抵抗したい。その思いから、賛同いたします。

私は精神障害者と言われる方の相談支援をしています。
相談者の中には、自分の思いや要望をたくさん我慢して、ぎりぎりの生活をしている方が多くおられます。
国は、すべての国民が安心して暮らせることを保障してください。現場にいる当事者や関係者の声をちゃんと聞いてください。
私は福祉職として、彼らの権利擁護が使命です。
勝手な判断には、断固として反対です。

生活保護が抑制されれば、今よりもっと健康をそこねる人が増えます。ふつうに医療が受けられる社会のためにがんばりましょう!

弱者を痛めつける制度は許せません。

健康で文化的な最低限度の生活は,必ず保障しなければならないのである。そrが実現できない予算はありえません。

本声明に強く賛同します。この問題は我々の社会が抱えるほとんどの問題に直結するものであり、もっと多くの人々が声を上げるべきものでもあります。

文化的な最低限の生活を国民皆に保障することが、政府のすべき、唯一そして最大の仕事のはずです。(国防も外交も、その目的のためにあるはずです)
それよりも優先順位の高いことなど何一つありません。

私たち主権を持った一人一人の日本の市民は、人間らしい生活を営む事を憲法で保証され、またその権利は日本も批准している世界人権宣言でも唱われています。貧困問題の根本的解決に取り組まず、弱者をセイフティネットから降る落とす平成25年度予算概算要求基準の撤回を強く求めます。

生活保護制度の切り捨ては、社会の構造が作り出した追いつめられ、ギリギリの生存権を保障すべき人たちを追い込み、命を脅かしている。さらに生活者、日本社会の疲弊と混乱を広げるだけ。
貧困、格差拡大の構造を作り出して、それを「自己責任」にすり替えてはいけない。税金が富の再配分を逆転させている。高額所得者の所得税、富裕税、大企業への優遇を見直すべき。生活保護制度、セーフティーネットは、いまこそ充実すべきです。

受給者です。
皆さんと共に頑張っていきましょう。

「生活保護費」のカットは言語道断であり、それによって、確実に「野垂れ死に」していく人が増えていくでしょう。つまり、政府は「緩慢な殺人」に手を染めることになるのでしょう。政府は、福島や宮城や岩手の悲惨な状況に思いを馳せ、手を差し伸べることを放棄するのでしょう。これ以上、「緩慢な殺人」にストップをかけなければなりません。

私は精神障がい者で、障害厚生年金と生活保護で生活しています。現状ですら毎月の生活はギリギリで苦しいのに、これ以上引き下げられたら、生活が維持できません。病気(うつ病)なのでまずはなかなか思うように活動できません。しかし、役所の福祉担当は生活保護費を減らすことばかり考えていて、施設か障害者雇用で働け、といいます。働けないといったら「働く気のない人には生活保護は出さない」と脅されそうで怖いです。

声なき弱者の立場に立つ、上記声明文に賛同いたします。

まともに暮らせる収入の得られる仕事に就くことが一層難しくなっている中、暮らしの下支えとしての生活保護の役割は重要性を増しています。
働いていても収入が保護費水準を下回る、なおかつ資産をもたない人へ-
あなたも本来は暮らしていけるだけの正当な報酬を受ける権利があるのです。
もしそれがかなわないならば、あなた自身が保護の受給を求める権利があるのです。
だから、暮らしへの不満を受給者にぶつけて責めるのでなく、手をたずさえて暮らしの改善をともに求めていきましょう。

「病気になっても病人にはなれない」「保険料を払っていても医療にかかれない」…。深刻な声が診療現場にも届いています。保険医協会社会医療対策委員会は「いつでも、どこでも、だれでも」必要な医療が受けられる社会を実現させるため様々な取組みを行っています。
ともに頑張りましょう。

アピールは心に訴える内容で全面的に賛同します。国会議員や政府関係者、マスコミはもとよりすべての地方議員、地方行政担当者にも届けて下さい。アピールの「自民党政権末期の小泉政権下で掲げられた『聖域なき構造改革』路線が亡霊のごとく復活している」との指摘はその通りだと思います。民主党政権は事実上崩壊したと言うことですね。思想信条を超えて国民のだれもが生まれてきて良かったいえる社会を望みます。

生活保護は憲法25条で保障された国民の最後のセーフティネットです。心から賛同いたします。

人類の歴史的到達に棹差す暴挙だと思います。

社会保障の充実を強く望み、それが当たり前の世の中にしていきたいと思います。弱者をいたわることのできる余裕のある成熟した社会になるようにと願い、それが実現されるよう自分にできることを果たしていきたいと思っています。

生存権はクニによる民衆への生存保証を約束した契約書だ。憲法とはクニと民衆の約束事です。クニが暴走しないよう、縛りをかけるのが憲法の果たす役割。いま、このクニは民衆を遺棄する責任逃れという暴走を始めた。断固としてクニの暴走を止めていきましょう。

今回の声明に賛同する立場から、医療機関で働くSWという立場でメッセージを送ります。
私たちは医療事業で患者さんの幸せを支援にするのが仕事です。ですが、治療につながるまでに、家族を失ったり、病気が重症化したり、命を落としたりする人が存在しています。そうした人たちは私たちの前にはなかなか現れません。なぜ、お金が無いからと死ぬまで受診をためらわなくちゃならないのでしょうか?そのような患者さん達を見ると、ここは日本なのだろうかととても切なくなります。そして、そうした患者さんは、健康を守ることのハードルも高いですが、人間らしく生活するためのハードルも高いように思います。
昔はお医者さんにかかるのは埋葬のための死亡診断書が必要な時だったと言います。でも、残念ながら今も、そうしたことは続いているのではないかなと感じます。病院は死亡診断書を書くためにあるのではない、病院は治療を受け、元気で生活し、その人らしい人生を送るようになるためにあるのだと思います。
一方で、保険料が払えなかったその人が悪い、病気に備えてこなかったその人が悪い、という考え方があり、それが健康の自己責任論としてあります。でも、私が思うのは、病院は命を救うためにあるのであって、病気に備えなかったことを罰する場所ではないんじゃないかなということです。中にはいろいろと生活課題を抱えた方もいて、SWとして「この人このままじゃなあ」と悩むこともありますが、医療を受けられないということはその人の生命の可能性をつみとることになるという重い問題であることを肝に銘じて、その人と向き合っていくしかないなと思っています。
生活保護を今より改悪したら、人間らしい暮らしはますます私たち国民の目の前に現れません。今、生活保護以外に人間らしい暮らしを実現するための有効な制度がないのなら、まずは生活保護で救済し、より適切な社会保障のあり方を模索していきたいと考えます。

私の経験からです・・・
私は難病患者です。治療のために預金も全てそこをつき、病気での苦しみに死を何度も考えました。しかし、母子家庭でもあり(私が世帯主で小学の子がいます)息子の1こと「ママにも生きて欲しい」この言葉に生活保護の申請をしました。現在難病患者でありながら治療どころか病院にいけない、という最悪な状態です。相次ぐバッシングにこんなに肩身の狭い思いをしないといけないのか?
死んだほうがよほど楽、しかし息子が生きたいといいます。だから生きる道を諦めないことにして今自分なりに勉強しています。息子のために私も生きたいからです。生保は本当に治療が受けられないのか?国の難病指定も何年も受けていたのに、なぜか病名が変えられました「精神病」しかも検査なしです?このままでは殺されてしまいます。私の死は息子の死です。息子には私しかいません。そして私への偏見が息子にまでいくなんて許せません。どうか好きで病気になるわけでもなく、好きで生活保護を受けているわけでもありません。ある日突然難病を告げられたら・・・皆さんももし自分だったら・・と考えていただきたいです。生きて欲しいと言ってくれた息子のために私は再審査を諦めません。

生活保護を悪用する人が一部いるから、真に保護を必要としている人達が苦しい立場になっていると思います。
国は、そこの辺の見極めをしっかりして欲しいと思います。

お金が無ければ生きていけない。そしてお金を稼ぐためにアクセクする、あくせくする人生は生きていけない恐れを傍らにいつも抱えています。その中で生活保護は、最後の砦として最後の拠り所として、それを使わずとも頭の片隅に、生きる最後の保障としてあります。最低の命を全うできない世の中は人の世ではない。それができなければ「絆」などと言うな!

私は、障害1級で母子家庭として、生活保護受け子供3人と暮らしてきました。子供たち3人はそれぞれ家庭を持ちましたが、今回のことで長男の結婚に支障がありました。私はまだ53歳まだ一人で暮らして生きたいし、子供たちの生活もぎりぎりです。これ以上親子関係にヒビヲ入れたくありません。障害者加算も他人介護加算も徐々に減らされていました。この生活保護法が改善され子供たちとの関係が悪くなるなら、死んだほうがいいです。そういう思いの日々です。

いじめにNO!いのちにYES!大人もこどももみんなが当たり前のことを当たり前と言える世の中を。

どんどんと25条からかけ離れた社会になっていくように思います。弱者切り捨てというよりどんどん弱者を増やしていく政策を許せません。なんとしても食い止めましょう

社会保障費削減に反対します。

私も病気の為、生活保護を受けて生活をしています。
今の金額では本当に毎月ギリギリで、月末には白粥を食べる生活。
全身に痛みを伴う、線維筋痛症と言う病気の為、家事も買い物も満足に出来ないことが多々あり、週に一度、家事介助・移動支援のヘルパーさんのサービスを利用しています。
現物支給をされても家事が不可能な事。それ故に出来合いの物を買うしかない場合が多い事があるので、これ以上の減額には反対します!

「平成25年度予算概算要求基準」を撤回してもらえたらと思います。
今の世の中の状況を見ると生活保護費は削減ではなく増加が必要と思います。国民の税金は憲法25条を守ることを優先して使ってほしいです。貧困になる可能性は誰にでもあることと思います。生活保護は大切にしてほしいと思います。

税の応能負担と社会保障の再分配機能の強化を!今の政策はその逆になっています!

セーフティネットを絵に描いた餅にする気なのですね。
生きる権利を守るはずの国がそんな恐ろしいことをしてはなりません。
安心して暮らせない社会を展開してはなりません。

社会保障を減らすのではなく、保護を必要とする人を減らすことに力を注ぐべき。生活保護をスティグマ化することで困ってる人がますます声を上げづらい状況になってしまう。ごく一部の不正受給を生活保護全体の傾向であるかのように思わせ捕捉率を無視するやりかたは許されない事だと思います。

財政難だから消費税を課すと言われれば納税し、震災が起これば支援し・・・
私達は今まで、ギリギリの状態で家計を維持しながら、自助・共助の努力を十分にしてきました。
にもかかわらず、本質的な問題から目を背け、更に自助共助に励めと宣う。こんな政府の姿勢を、許すことは出来ません。
上記声明文に賛同します。

賛同します!
生活保護は憲法で保障された最後のセーフティーネットであり、これを削減したり、マスコミも使ってバッシングしていることに強い怒りを感じています。自己責任の論理、弱い者いじめにほかなりません。
医療現場で金銭的な問題で診療を中断したり、診療が遅れたために手遅れになったり、治療をあきらめたりする方々をたくさん見てきました。病院の受付にたどり着いた瞬間に倒れてしまい、財布の中には5円しか入っていなかったケースもありました。こうした方々が生保をとり、社会復帰していくのをたくさん見ています。社会保障費そのものをもっと拡充し、必要な支援が安心して受けられるようにすべきと考えます。

いうまでもなく生活保護は国民全員のための制度。
今、元気で働いている、あなた。お金持ちの、あなた。でもあしたは、どうなるかは分かりません。例外なく誰もが生活保護制度を利用する、あるいは利用せざるを得ない、という可能性を持っているのです。
だから生活保護を受けている人を税金泥棒呼ばわりすることなど、誰にもできないし、してはならないのです。
どうか一人でも多くの人が、この当たり前のことを肝に銘じてくれるように願い、祈ります。

私自身「生活保護受給者」です、毎月「収入報告」に行きますが福祉事務所で毎回「審査」が厳しくなる事を感じます、通院費の審査など、そしてマスコミのいやになるキャンペーンや、「保護申請」についてのムチャなケースワーカーの不法な要求など、政府の方針に根差してることは明らかです、日本の財政悪化は私たち庶民の責任ではありません、「新自由主義」全体の問題です、ともに立ち上がり戦っていきましょう。

生活保護受給者です。精神障害を患っている上に職歴は2年しかなく、技術もなければ「死ぬまで治らない」という病気の為、就職のめどが全く立ってません。
そんな中こんなことをされたら私たち親子は本当に困ります。
散髪、まつげパーマ、眉カット全て練習台になることで切り詰めてます。交通費も浮かせるため、市から支給される福祉乗車券を使っているので、電車で一時間に20本ぐらいあるところを一時間に2本か3本のバスを利用しています。
冷房も使いたくないために図書館に通って電気代を抑えてます。アンペア数も10Aにしました。
これ以上どこを削ればいいんですか。お願いです。本当にやめて下さい。

格差を放置し、弱者へのしわ寄せは許すことはできません。

同じ国・時代に生きる者として、格差は許せない。人として生きる最低限の保障を・チャンスを奪っちゃいけない。生活保護を受給したのち、どう生きるかの対策をもっと充実させよう。

声明文を全面的に支持します!
こんな政府の暴挙は許すことはできません!
世論を喚起し必ず予算概算要求を撤回させましょう!

公務員の給料を1割カットすれば、保護費はまかなえます。4割カットして民間なみにすれば、800万人の人が生活保護を受けられます。

最後のセーフティネットである生活保護制度が弱体化するということは、
国家による生存権保障の放棄を意味します。
そのような決定を許すことは、どうしてもできません。

生活保護受給者です。病気で働けません。現物支給にされても、ドクターに止められているものは食べられません。体調によって食べるものも変わります。生活必需品にしても毎月、必要なものは変わります。現物支給反対。保護費のカット反対。今でも、苦しい生活をしているのに、これ以上カットされたら、全員が餓死します。
政府が生活保護受給者に仕事を世話するのではなく餓死させる残酷な国が日本なのですか。

弱者いじめで国が良くなるわけがない。

富裕層から税金を取り貧困層に分配する、それが国の役割だろう。
住民の十分な社会保障もできないくせに「先進国」などというな。

人間としての誇りと尊厳を守るため不当な権利侵害に抗議します。

生活保護バッシングを広げ、それを利用しての生活保護を含む社会保障予算の切り下げは許されない。まさに時機を得た呼びかけに感謝します。共に頑張りましょう!

まったくけしからね話で、国外におりましても憤慨しています。

生活ができる人間以外に明らかにできない人間がいる。
その人間を救う最後の砦の「生活保護」
恰好の問題とかでなく、役所の対応の在り方などをもっと考えてほしい。

憲法第25条を、事実上解体する「社会保障制度改革推進法」。
その流れを推進する、生活保護の予算削減の動き。
この国は、完全に憲法が描いた理想を無視している。
命を大切にしない国に未来は無い。

社会保障費を見直すことは、確かに必要だ。しかし、そこで問題なのは「どう直すか?」である。「歳出の大枠71兆円を遵守する」ために社会保障費の総額に枠をはめることは許されない。人にお金がかかるのならコンクリートを削るのが民主党でなかったか?また生活保護についても、不正受給や医療扶助の無駄に切り込むなら話はわかる。しかし、保護基準の切り下げに手をつけようというのなら、「国民の生活が第一」と前回の総選挙に掲げたのは嘘だったことになる。民主党推薦で議員になった者として、大きな懸念を持って注視している。

かつてこの国に交通事故死者が一万人を超えた時「交通戦争」という言葉をつかい、国をあげて交通事故撲滅のためにキャンペーンを行い、交通事情や道路の整備、改善、交通警察官の増員、事故防止の教育、車の検証などの取り組みをやり、事故を減らす努力をしてきました。自殺は三万人を超え、餓死、孤立死(貧困死)も三万人と言われている状況の中で国は社会保障予算、とりわけ生活保護予算を減らすのではなく、むしろ増額して国民の命と生活を守る姿勢に立つべきです。貧困救済と貧困をなくす闘いを政府が率先して行うべきです。そうでない政府はいりません。

最期の最期まえで、人間として人間らしく生きられるよう、又、生まれてこなければ良かったなどという悲しい人生でないよう、私達もできるだけの応援をしていきたいと思っています。

生活保護制度は最後の砦であり、憲法25条を体現する制度です。さらに充実し、内容も本当に自立できるよう支援内容にしていかねばなりません。医療機関への交通費全額給付や車の利用も認めるべきです。

餓死・孤立死が多発する中で、一連の生活保護バッシングが行われ、生保受給者や生活に困窮している方々がおびえて暮らさなければならないことに憤りを感じます。

生活保護基準は、全国民の生活の基盤、指標になるものということは誰もわかっています。ですから、これ以上ひどくすることは許されません。むしろ、ケースワーカーの増員や社会的自立への支援などに予算を増やすべきと思います。

生活保護制度の安易・拙速な改悪は絶対に許さない。

生活保護という制度がいかに大切であるか、またこの制度に対する理解が全国的に拡がってほしい。

私達は消費税を払っている。生活保護が税金でまかなわれてるというのなら、私達は等しく、困ったときに、生活保護を堂々と受ける権利がある。バッシングする奴等は、そんな事も説明してあげないと、わからないのかな~

政府には,なぜ生活保護を利用しなければいけない人が増えているか,真剣に考えてほしい。

生活保護をたたきすぎてると思います。なぜそれが自分たちの生活に直結してるのに。弱いものがさらに弱いもの叩いてもよろこんでるのは上にいる人だけ。今の政治家もマスコミもなんか上の人なのか、現状が分かってないひとばっか

18年前からの生活保護利用者です。
基準の引き下げはやめて下さい。
現在でも『健康で文化的な生活』を営んではいません。
私は、化学物質過敏症という病気で、2年前の1月より障害年金を頂いております。
化学物質過敏症という病気は、お金がかかります。
活性炭マスク・空気清浄機のフィルター・浄水器とそのカートリッジ等々、この病気に必要な物は自腹で揃えなくてはなりません。
石鹸・洗剤・トイレットペーパー・食料、日常のあらゆる物、全ては使えるかどうか、試す必要があります。
安い品は、化学物質を多く使っているために使えません。値段の高い品を使うしかないのです。
現物支給は、大反対です。
使えない物、食べられない物を支給されても、生きられません。
病気のため、外出が困難です。買い物も大変です。
津波の再来、首都直下地震、富士山の噴火等の災害に備えて備蓄をしています。
物流が途絶えれば、益々、買い物が難しくなります。混雑するスーパー等に並ぶ事は出来ません。だからこそ、備蓄をして置きたいのですが、費用を捻り出すのも大変です。
化学物質過敏症という病気だけでも、社会からはじかれた生活をしています。加えて、生活保護制度は、現在でも「アレも駄目」「コレも駄目」のがんじがらめです。
更に『基準の引き下げ』とは「弱者は死ね!」と国家に追い詰められるような日々です。
最低賃金を上げて下さい。
最低保証年金7万円という民主党のマニフェストを実現して下さい。
富裕層の低い税率を引き上げて下さい。
18年前からの生活保護利用者です。
基準の引き下げはやめて下さい。
現在でも『健康で文化的な生活』を営んではいません。
私は、化学物質過敏症という病気で、2年前の1月より障害年金を頂いております。
化学物質過敏症という病気は、お金がかかります。
活性炭マスク・空気清浄機のフィルター・浄水器とそのカートリッジ等々、この病気に必要な物は自腹で揃えなくてはなりません。
石鹸・洗剤・トイレットペーパー・食料、日常のあらゆる物、全ては使えるかどうか、試す必要があります。
安い品は、化学物質を多く使っているために使えません。値段の高い品を使うしかないのです。
現物支給は、大反対です。
使えない物、食べられない物を支給されても、生きられません。
病気のため、外出が困難です。買い物も大変です。
津波の再来、首都直下地震、富士山の噴火等の災害に備えて備蓄をしています。
物流が途絶えれば、益々、買い物が難しくなります。混雑するスーパー等に並ぶ事は出来ません。だからこそ、備蓄をして置きたいのですが、費用を捻り出すのも大変です。
化学物質過敏症という病気だけでも、社会からはじかれた生活をしています。加えて、生活保護制度は、現在でも「アレも駄目」「コレも駄目」のがんじがらめです。
更に『基準の引き下げ』とは「弱者は死ね!」と国家に追い詰められるような日々です。
最低賃金を上げて下さい。
最低保証年金7万円という民主党のマニフェストを実現して下さい。
富裕層の低い税率を引き上げて下さい。

アイルランド共和国在住です。
ここの社会政策も決して万全でも理想的でもないですが「人が人間らしく生きる」ことに対する人々の価値基準が日本とはまったく違うと感じます。
衣食住に事欠くほどの額の生活保護さえ、罪悪感を抱きながらしか受給できないなんてひどい話です。
そのアイルランドも、銀行救済に端を発する経済危機で雇用も福祉手当も同時にバサバサ切られていっています。
その中で、福祉手当受給者をスケープゴートにしたてあげる風潮も強化されています。
こちらに来てから、日本は資本主義の先端を行っていただけあって、人々の精神構造も資本主義化され、競争社会や効率社会に対して適応化させられてしまっていたのだなあと実感しました(その中にいるときは気づかなかった。
私自身がその価値観に基づいて判断していた)。
これまで、国全体が大きな田舎の村だったようなアイルランドも、金融危機をきっかけに日本と同じように競争社会化され、人間の存在価値さえ効率で測るようになるのではないかと悲観しています。

生活保護を解体させる政府の政策は、市民の生き死を左右する。人間を殺す権利は、政府にはない。生活保護を含め社会補償の解体は、私たち市民の諸権利を抑圧する道に繋がる。断固、反対する。

生活保護の予算が削減され締め付けが厳しくなると、路上生活者は再び激増するでしょう。今夏、大阪市西成区・浪速区でわたしたちが行なった夜回りによっても、すでに路上生活者数が顕著に増加していることが確認されました。

無責任な経済・財政政策の結果を一方的に弱者にしわ寄せする
もので、とうてい看過できません。派遣労働の制限、労働法の遵守
徹底、最低賃金の改善などを怠ったまま保護費のみを抑制するのは、金がないなら路上に出るか餓死せよと言うに等しい不道徳の極みです。

現在、私たちの労働組合員およびOB組合員には、
派遣切りや、雇い止め解雇や、雇用上のトラブルがきっかけで雇用主と交渉したり、係争状態に至って解決後に失業したままの30~40才代の人たちが居て、生活保護の給付を受けている現状があります。
なかには精神的疾患で病んでいて働けない者も居ります。
一部の不正受給の事例を引っ張り出して、国民の妬みや批判を煽ったり、受給者全体の保障費の削減、申請許可条件を厳しくすることは止めてください。

国民の命を守ることは国の責任でもある。

賛同します。政府は生活保護、社会保障費等を削減する前に税金の無駄遣いこそを聖域なく止めるべきである。
ゼネコンとの癒着による無駄な公共事業、在日アメリカ軍へのおもいやり予算、一人の自転車泥棒を三人で囲むような状態となっている、多すぎる警察人員、警察配置。
様々な金融マフィアへの謎の献金。
様々な国際金融機関への謎の献金。
諸外国への謎の献金。
もはや用を為していない原子力施設(六ヶ所村再処理工場、高速増殖炉もんじゅ等)の維持費。
一等地で格安家賃の議員マンション。等々。
これらの税金の無駄遣いを止めれば財源などいくらでも確保出来るはずである。
あるいは通貨システム自体を変更すれば良い。現在の、中央銀行からの借金によって成り立つ通貨システムを廃止し、政府がみずから、利子のつかない、負債でもない、政府通貨を発行する制度にすればよい。
あるいは日本は世界一の債権国なのであるから、各国に貸しているカネを回収すれば良い。
例えばアメリカ国債を債券・証券市場で投げ売りすれば良い。
ドルは近いうちに紙クズになるので、安くともいまのうちに投げ売りするなり、債務の回収をするべきである。

本来無償とされ、貧困と格差を解消する「力」となるべき学校教育が、競争的入試制度と高学費(OECD諸国で最下位の教育費)により、貧困と格差を拡大し、さらに固定化する元凶となっています。不安定雇用を増大させ、最低賃金を上げずして生活保護費を削減する。無用なバッシングを続ける。こうした「自己選択」「自己決定」「自己責任」の空気は、子ども•若者の中に不安と生きづらさを拡げるばかりです。

生活保護制度は最後のセーフティネットです。
生活保護の抑制は孤独死・餓死を発生させます。
生活保護の充実が必要です。

生保を利用しずらい空気を作られたが為に、望まない環境の仕事をしている人がいます。
本人が納得して、働かない/働くこと、を選択できる生活をつくりたいです。
働くことで胸を張るのではなく、納得した環境で自分に胸を張り、生きたい。



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